住民が魅力ある街を守る。自由学園から生まれた「学園町」という街のありかた

2023.06.30

シリーズ“都心、街の暮らし”ではこれまで都心エリアの魅力をご紹介してきましたが、今回は趣向を変えて東京郊外の東久留米市「学園町」へ。

西武池袋線ひばりヶ丘駅が最寄りのこの街。ジャーナリストであり「自由学園」創始者であった羽仁もと子・吉一夫妻によって開発され、100年近くたった今でも住民がそのスピリットを守るという稀有な存在です。

そんな「学園町」の魅力を、まちづくりや都市開発の専門家である株式会社HITOTOWA代表の荒 昌史さんと自由学園明日館館長の福田 竜さんに、街歩きをしながら案内していただきます。

1921年(大正10年)、池袋に創設された女学校「自由学園」の校舎だった明日館。設計をフランク・ロイド・ライトとその弟子である遠藤新が手がけた。学園は1934年(昭和9年)に東久留米市に移転したが、明日館はそのまま活用されてきた。1997年に国の重要文化財に指定。現在も一般公開され公開講座や会館事業に活用されている。
自由学園明日館館長の福田 竜さん(左)と、HITOTOWA代表取締役の荒 昌史さん(右)。

自由学園の精神が受け継がれる街

住まいを選ぶ上では、家そのものだけでなく街の環境も大切にしたいもの。街に理念があることで、それに共感した住民が集まり、歴史や文化が残る街並みが継承されていくことがあります。住宅地として誕生してからまもなく100年を迎える「学園町」は、まさにその好例です。

──「学園町」の街の成り立ちを教えていただけますでしょうか。

福田 竜さん(以下、福田):「学園町」は、自由学園が作った街なんですよ。自由学園は日本初の女性ジャーナリストであった羽仁もと子と吉一夫妻が、女性の自由と権利拡大を志し、自分たちの理想の教育を実践する場として創立した学校です。もともとは池袋にありましたが手狭になってきたため、1925年(大正14年)にまだ雑木林だった現在の土地10万坪を購入。そのうち3万坪を学園に当てて、残りは新しい街を作ることにしたんです。自らが出版する雑誌「婦人之友」の誌面上で呼びかけて、保護者や共感してくれる方に土地を分譲しました。

荒 昌史さん(以下、荒):学校が実際に住宅地を作る例は国内では4つあって、自由学園のほかには成城学園、玉川学園、成蹊学園があるそうです。なかでも教育思想と生活思想が特に密着したものが学園町と言われています。

──「婦人之友」の当時の誌面によると、分譲された区画は250坪もしくは500坪。住宅の設計は、モダニズム建築で知られる遠藤新や土浦亀城が手がけたものもあったとか。ひろびろとした土地に瀟洒な邸宅が並ぶ姿は、当時としてはさぞかし画期的だったのでしょうね。

福田:遠藤新建築の住宅はまだ残っているものがあり、ときどき建築ファンの間でも話題になるようですね。

どの家も高い塀で囲んだりせず、ゆるやかに自然で外と敷地を区切る。『公と私をうまくつないでいる家が多いです』と荒さん。

荒:この街には森のように木が茂っている家や、庭をきれいにしている家が多いですよね。よく近辺を散歩するんですが、社会的な良識である“common”を大切にしている方が多いのではないでしょうか。のんびりとしていて、“令和”ではない時間が流れているように感じます。

自由学園出身の方が住んでいたり、子どもさんを自由学園に通わせたいと引っ越してくる方もいらっしゃるようですね。私も「まちにわ ひばりが丘」のプロジェクトに関わったことで引っ越してきたのですが、私のように自由学園の理念に共感して住んでいる人が多いように感じます。

ただ、そう言うとプレッシャーに感じる方もいるかもしれませんが、押し付けのようなものはありませんよ。自由学園は、『むしろ学園町は住民のもの』という謙虚な姿勢を持っていて、敷居の高さや暮らす難しさみたいなものはまったくないです。

福田:確かに、『学園町=自由学園』というような強い意識は、住民も学園も持ってはいないですね。

──時代や状況が変わり、街も住む方も多様化しているわけですね。

荒:相続などによる開発が進み、敷地が分割されて以前とは違う街並みになったところも多いですね。

開発が進んでも小鳥や小動物と共生できる自然を残す努力を

そんな潮流に流されないようにするためなのか、「学園町」では、2008年(平成20年)に住民の方々の総意で「学園町憲章」が制定されています。
由緒あるこの街を“我がまち”として愛し大切にしよう、植樹や生垣を奨励しよう、住民同士で生活マナーを守ろうというようなことを掲げています。
また、住民と学園が協調しながらコミュニティを形成し武蔵野の街並みを残す努力を続けていることが認められ、2022年(令和4年)の「第18回 住まいのまちなみコンクール」にて「住まいのまちなみ優秀賞」を受賞しています。

──『自分が暮らす街とはなにか』を住民が考え守り人任せにしないという姿勢は、企業主体の再開発が進む街が多い今、見習いたい点が多くありますね。

荒:日本中で言えることですが、開発のプロの方にこそこうした考えを理解し、どのような開発が本当に必要なのか真剣に向き合っていただきたいですね。人口減少・家余りの時代に開発の意義そのものが問われているように思います。

何十年も前に生徒たちが植林し育てた木による木造校舎「自由学園みらいかん」の前に立つ荒さん。

「生活即教育」の実現をめざす自由学園

学園通りを歩いていると、自由学園の正門が見えてきました。今回は特別に中に入れていただけることに。
「ひばりが丘駅」から歩いて8分ほどのところにある広大なキャンパスは、4000本もの雑木が茂り、天然の小川も流れる自然豊かな環境。初等部から大学にあたる最高学部までの生徒・学生に加えて、45歳以上のリビングアカデミーの学生がこのキャンパスで学んでいます。

福田:校舎は池袋と同様、フランク・ロイド・ライトの愛弟子である遠藤新が設計していて、1934年に建築されました。男子部と女子部の校舎は分かれているんですが、2022年に女子部の中・高等科校舎が東京都の有形文化財に指定されたんですよ。

荒:私は最高学部の非常勤講師もしていてここに通っているのですが、歴史的に価値のある建築物はもちろん、自然が多いのもいいですよね。本格的な畑や養殖池、養豚所があり、『生活即教育』をモットーとする場だけあって素晴らしい環境だと思います。

福田:教室や机の上だけでなく、生活や自然、社会のすべてが学びの場である、という考えですね。

東京都の有形文化財に指定された女子部(中・高等科)を背に。

暮らしの価値を感じられる街

街歩きの最後に、自由学園と地域の交流の場になっているカフェ「しののめ茶寮」へ。カフェラウンジ、多目的室、展示スペースのほか、小さい子どもとその家族が自由に利用できる“こっこ広場” “こっこルーム”もあります。
お茶をいただきながら、この街にお住まいの荒さんに住み心地について伺いました。

荒さんが代表を務める株式会社HITOTOWAは、人と和のために仕事をし、企業や市民とともに都市の社会環境問題を解決する会社。同じ街に暮らす人々が、いざというときに助け合えるような関係性と仕組みをつくる“ネイバーフットデザイン”をメインとした事業を行っています。ひばりが丘団地の再生事業「まちにわ ひばりが丘」も、住民が中心になって街を育てていくための基盤をつくるプロジェクト。
この取り組みに携わるうちに地域に惹かれ、「学園町」の住人になったそうです。

──改めてこの地域の魅力とはどのようなものだとお考えですか?

荒:僕が住んでいるところは住所でいうと「学園町」ではありますが、厳密にいうと自由学園が最初に分譲した街区ではないんですね。ちょっと外れているんです。だからこそ住めたという(笑)。それでも、「学園町」の一員になれたことはすごく嬉しい。住んで2年、緩やかなコミュニティがあるんですが、暮らしている方の志の高さが感じられます。庭の手入れのよさ、美しさが特徴的だとお話しましたが、うちでも小さな庭をやっているんですね。そうすると、散歩中のお年寄りの方が話しかけてくれるんです。しかも『ありがとう』って言われるんですよ。

福田:ああ!わかります。池袋の明日館の敷地内にも花が咲いたり、山法師の実がなったりして、近隣の方や小学生との会話のきっかけになっています。

荒:言われたこちらも、ものすごく嬉しいですよね。
庭は自分のためにやっていることなのに、実はまわりの人も喜んでくれる。そういうところにも街の価値があると思うんです。価値というと不動産の評価みたいな捉え方をしますけど、従来の古い物差しだとその評価に表せていない暮らしの価値もあるはずで。

住民がそれぞれの暮らしを楽しみつつ庭などの景観を大切にすることで、新たな会話はもちろん、言葉を介さないコミュニケーションも生まれる。従来の物差しでは測れない価値がある街ですよね。

福田:私は仕事の関連で「学園町」に長く通ってきて、街全体がひとつの財産だと感じています。住んでいる街に学ぶ場があるのは大きな魅力ではないでしょうか。コロナ禍でここ数年は難しかったですが、一般開放のときにはぜひ学園内を歩いて、自由学園の理念である『生活の中に学びがある』という空気感を感じていただきたいです。

──学園町に限らず、今後のまちづくりに必要なものはどのようなことでしょうか?

荒:以前はデベロッパーにいて、街の“開発”をやる側でした。取り組んでいて面白かったですし、とても意味があることだと思っているのですが、作り手側の論理がかなり優先されているなとも感じていて。建物を建てるだけではなく、そこに住む人々の意識や主体性を育てたり見識を深めていく必要性があると思っています。その鍵となるのが、コミュニティづくり、つまり“ネイバーフットデザイン”です。
今後もデベロッパーや行政とともに、住民がもっと主役になるようなまちづくりをしていきたいですね。

──緑豊かな美しい街並みが守られてきた「学園町」。そこでは、住民たちのつながりと主体性が大きな役割を果たしていました。これからの住まいには、不動産的な価値だけでなく、“コミュニティ”といった視点を持つことも大切なのかもしれません。“毎日の生活”に重きを置く自由学園がつくった街「学園町」には、暮らしを考える上で多くの学びがありました。

DATA

荒 昌史 Masafumi Ara

HITOTOWA INC. 代表取締役
https://hitotowa.jp/

2004年早稲田大学卒業後、住宅デベロッパー入社。2007年より新規事業として環境共生住宅やマンションコミュニティの企画を行う。同時期に環境問題のNPO法人を立ち上げ、活動。
2010年にHITOTOWA INC.を創業。都市に助け合える関係性と仕組みをつくることを志し、ネイバーフッドデザイン事業等を推進。東京都住宅政策審議会委員等を歴任。著書に『ネイバーフッドデザイン―まちを楽しみ、助け合う「暮らしのコミュニティ」のつくりかた』(英治出版)がある。




福田 竜 Ryu Fukuda

自由学園明日館館長
https://jiyu.jp/

2001年東京理科大学大学院修了。設計事務所勤務を経て、自由学園明日館で重要文化財建造物の保存・活用に従事する。
2022年4月より館長。自由学園女子部の東京都有形文化財指定にも携わる。

Text by TomokoYanagisawa(Yanagi ni kaze)
Photos by Eiji Miyaji
         

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