江戸の心意気と “食” で紡ぐ豊かな暮らし
「日本橋人形町」
下町の風情が残る街として、国内外から多くの観光客が訪れる「日本橋人形町(以下、人形町)」。昔ながらの商店や飲食店が多い一方で、近年はマンションの建設も活発で、住む場所としても人気を集めています。この街にはどんな魅力があるのか、すき焼きの名店「人形町今半」の総支配人で、かつて人形町本店の店長も務められていた水谷 文彦さんに伺いました。

町人が賑わいと暮らしを育んできた街
日本橋エリアは、江戸幕府開府の際につくられた “町人地(*)” から始まったといわれています。開府の翌年に「日本橋」が五街道の起点と定められたことで、各地から人と物産が集まる経済と文化の中心地として発展していきました。
*商人や職人が居住した区域のこと
そんな中、人形町の周辺は芝居の街として発展していきます。特に安くて短時間で楽しめる庶民の娯楽として人気だったのが人形芝居です。現在の人形町2丁目にあたるエリアには人形師をはじめ、人形を商う人や職人が大勢暮らしており、町名の由来となったと言われています。昭和の中頃にかけて、寄席や映画館、料亭などが立ち並び、日本有数の繁華街としての地位を築いていきました。

時を経て、2000年代に入ると長引く経済停滞による地価下落もあり、都心で働く若いビジネスパーソンたちの移住が進みます。もともと商売をしていた人が同時に居も構えていた人形町は、生活利便施設や教育機関が整っていたこと、地主が不動産の賃貸を始めて別の場所に移り住むケースが増えたことが追い風となり、職住近接の叶う場所として人気を集めました。次第に若者に向けた新しい店舗も増え、新旧の建物が共存する現在の街並みが形成されていったのです。

*建物のファサードを銅板で覆い、1枚の看板のようにさまざまな装飾を施した建築
地元民から外国人まで、幅広く愛される老舗
開店当時の建物を保存しながら営業しており、街の歴史を今にとどめているのが「人形町今半」の人形町本店です。
——「人形町今半(以下、今半)」はいつこの地にお店を構えたのでしょうか。
水谷文彦さん(以下、敬称略):創業自体は明治ですが、人形町でお店を開いたのは昭和27年(1952年)です。墨田区の本所吾妻橋で牛鍋屋として始まり、創業家の次男が閉館した浪曲(*)の寄席「喜扇亭」を買い取って、営業を開始しました。当時、この界隈にはすでに「すき焼き割烹 日山」さんがいらっしゃって、我々は新参者という立ち位置で営業させていただいています。
*ろうきょく:三味線伴奏に合わせて独特の節と語りで物語を展開する日本の伝統芸能

——どのようなお客様がいらっしゃることが多いのでしょうか。
水谷:富裕層の方や接待で使われる方、海外のお客様にお越しいただくことが多いですね。特に外国人のリピーターは本当に増えました。日本の文化が浸透してきているのか、皆さん抵抗なく生卵につけて召し上がってくださいます。
面白いのが地元の方ですね。ありがたいことに、うちは1ヶ月先まで予約で満席になってしまうんですが、台風などの自然災害があるとキャンセルが多く出ます。スタッフと『今日は暇だね』なんて言っていると、近所の方が『今日は空いてるでしょ』って、ふらっといらっしゃるんですよ。


(右)牛肉は ”すき焼きに合うかどうか” を基準に、ブランドの枠を超えてセレクト。それに合わせて割り下の配合も少しずつ調整するのがおいしさの秘訣。
気さくで表裏のない人形町の住人たち
——水谷さんが店長になられた時、この街にどのような印象を持たれましたか?
水谷:就任してすぐ、町会の重鎮の方々へ挨拶回りに伺ったんです。前任からものすごく良い方ばかりだと聞いていたのですが、初めてお会いした時は江戸っ子口調で迫力があって、怒られているのかと思いました(笑)。でも『お前が新しい店長か、よろしくな。頼むぞ』と声をかけていただいたのが嬉しかったですね。
——まさに大河ドラマで描かれるような江戸の町人といった感じなんですね。
水谷:基本的になんでもはっきり言いますよね。普通に『高いよ、今半。使えるわけねぇだろう。9,000円にしとけ』とかおっしゃる(笑)。人形町の名を冠している町会は1丁目から3丁目まであるのですが、みんなそんな感じで、代替わりしてもその気質が引き継がれていっている感じがします。皆さん人情にあふれてて、きさくですよ。
店長時代の私は朝9時に水を撒くのが日課で、町内会の皆さんはそれを知っておられるわけです。自転車でスーッとやってきて『来週こういうのやるんだけど、手伝ってくんない?』と声をかけられて、『その日は他の予定がありまして』みたいに返事をすると、『なんだよ』ってスーッと行っちゃう。でもそれが良いんですよ、表も裏も、腹の探り合いもなくて。

新しい人を受け入れ、共に街を盛り上げる
——近年、若い世代の方がお店を開いたり、移住されてきたりしていますよね。街の方々の反応はいかがですか。
水谷:非常にウェルカムです。老舗もあればオープンしたばかりのお店もありますが、商店街協同組合はすごく仲が良いんですよ。老舗の方が新しく来た方に積極的にアドバイスをして『一緒に盛り上げよう』っていう感じです。昔の長屋みたいに、助け合う雰囲気が残っているんですね。私も始めは町会に上下関係があるのかなと思っていたのですが、全然なかったですしね。
その一方で、言葉に出さない気遣いもあります。毎年、祭りのお神輿が来た時には我々が休憩場所を提供し軽食を振舞ったりするんですが、その後には町会の宴会をうちで開いてくださったり。借りっぱなしにしない商人同士の付き合いというか、礼儀といったものが息づいていて、非常に気持ちが良いですよね。

——町会の催しがとても多いそうですね。
水谷:そうですね。でも町会は皆に対して『手伝え』ではなく、『良ければ参加してくださいね』といったスタンスなんですよ。ここ10年で子連れの方が増えたので、子どものためのくじ引き大会をやったり、若い人に楽しんでもらえるようなイベントを増やしていこうとしています。人が入ってくると商売も活気づくわけで、そのありがたみをわかっているんでしょうね。人が集まる場所にしていくために、祭などのイベントを全力でやるんです。


水谷:それとおもしろいことに、街にクリスマスがないんですよ。12月に入ると、他の街はツリーやイルミネーションが出てクリスマス気分を高めている中、ここらは提灯が飾られて一気に正月になるんです。うちも江戸凧を出して飾ります。
“住む場” としても豊かな街
——商いのイメージが強い街ですが、暮らす場所としてはいかがでしょうか。
水谷:暮らしに欠かせない食文化がしっかり根付いています。個人経営の八百屋や買うと捌いてくれる魚屋、肉屋があって、総菜屋や卵焼き屋で手軽におかずも買えますしね。うちも総菜の店が道を隔てた隣にあり、すき焼コロッケなんかを販売しています。
ないのは大型スーパーや量販店ですね。でも家電なら秋葉原がすぐだし、隅田川を渡ると清澄白河に大きなホームセンターがあるので、私も自転車に乗って行きます。東京駅に近く、渋谷や新宿などの主要な街へ30分以内で行けるので、住みやすい街ですよ。

——おすすめのスポットはありますか?
水谷:日本橋七福神巡りの内、3つの神社が人形町にありますが、中でもやはり「水天宮」様ですね。うちも非常に大きな恩恵を受けています。子授けや安産祈願のあとにうちで食事していただいたり、近年ではお食い初めでいらっしゃる方が増えました。以前は専用の漆塗りのお膳と器が男の子用・女の子用各1セットしかなく1日1組限定でしたが、今は10セットあっても間に合わない日があるほどです。その後お子さんが成長したら七五三でまた来ていただくなど、ご家族の人生の節目に使っていただいています。

——水谷さんのお気に入りのお店を教えていただけますか?
水谷:人形焼きは「重盛」さんが有名ですが、小さなお店ながら「板倉屋」さんも美味しいですよ。それから甘味処「初音」のあんみつ、「壽堂(ことぶきどう)」の黄金芋、「玉英堂 彦九郎」の虎家喜(とらやき)。どの店も歴史ある老舗ですよね。


*江戸~明治末期にかけて主流だった、客が店内の畳に座り番頭が奥から商品を出して見せる販売方式

水谷:あとは「三原堂」の塩せんべい。私はこれが大好きで、100軒ほどあるお得意先の挨拶まわりの手土産は、すべてここの塩せんべいと決めています。会社の重鎮の方々はお忙しいのでお会いできないことも多いのですが、塩せんべいがあると『あ、水谷来たな』とわかっていただけるくらいです(笑)。自信をもってお薦めできます。

“食” がもたらす豊かさ
——最後に、豊かな暮らしを叶えるために大切なものは何だと思われますか。
水谷:やはり「食」だと思います。美味しいものを食べると元気が出て幸せになりますし、ハレの日を彩ったり、街に賑わいをもたらしたり…豊かさの “原点” なんですよ。人形町には大先輩方が根付かせてきた食の文化があります。私たちもそれを守るべく、これからも街の方々に喜んでいただける食を届けていきたいですね。

江戸時代から続く長い歴史の中で、時代の波にもまれながら変化してきた「日本橋人形町」。一方でそこに住む人と商う人は、変わらぬ心意気を持って、街の賑わいや住みやすさを維持してきました。人形町今半を含め町会の方々は、これからもこの街 “らしさ” を守っていかれることでしょう。

水谷 文彦 Fumihiko Mizutani
2010年、人形町今半に入社。今半万窯新宿サザンタワー店や名古屋ミッドランドスクエア店の店長を経て、人形町本店の店長に就任。現在は飲食部門の総支配人。全国を飛び回る忙しい日々ながら、プライベートでは少年野球の監督も務めている。「店長時代は朝から夜までいるこの店が家同然で、この街に住んでいるようなものでした」と語り、人形町での商いを大切にしている。

人形町今半
明治28年に東京・本所吾妻橋で牛鍋屋として創業。昭和27年、その支店として日本橋人形町に開店し、その後「人形町今半」として分離独立して現在に至る。1つの店舗から始まり、顧客の期待に応える形で精肉・ケータリング・惣菜・グロサリー商品と多岐に事業を展開し、人々に豊かな “食” を届けている。 HP:imahan.com





