「マルニ木工」が貫くものづくりの哲学
100年後も愛される家具をつくる
1928年の創業以来、木と向き合い続けてきた「マルニ木工」。広島・宮島に根付く木工文化を背景に、いち早く “工芸の工業化” を推進し、国際的なデザイン感覚と日本独自の木への美意識を融合した家具づくりを続けてきました。
世界的に高い評価を受けるプロダクトの背景には、良い家具をつくるだけではなく『100年後も定番として愛される家具をつくる』という信念があります。今回は株式会社マルニ木工の広報・橋爪 沙織(はしつめ さおり)さんにお話をお伺い、ブランドの歴史やものづくりのこだわりに迫ります。

木の可能性に魅せられて──広島から始まった挑戦
——まず、マルニ木工の歴史について教えてください。
橋爪沙織さん(以下、橋爪):マルニ木工は1928年、山中武夫が地元の広島県・廿日市で曲木工場を開いたことから始まりました。彼が生まれ育った宮島には元々優れた宮大工が多く、木工文化が根付いています。同じ木材が建築にも工芸品にも生まれ変わる可能性に魅力を感じ、当時は和室が主流だった中、洋家具を取り入れて『日本の住文化をより豊かにしたい』という想いがあったといいます。

橋爪:戦争が始まると、否応なしに戦闘機の尾翼や燃料タンクといった軍事品の製造へとシフトすることになりました。家具こそ作れませんでしたが、この経験が木工技術の向上に繋がっていきます。
1960年代に入ると海外からコッピングマシン(*)を導入し、トラディショナル家具のメーカーとして名を馳せるようになります。中でも1968年に発売した「ベルサイユ」シリーズは当時の時代性も後押しし、月算で8,000脚が売れて “東洋一売れた洋家具” と言われるほどの大ヒットとなりました。専用の工場も建てられ、ここで一気に “工芸の工業化” が推し進められることになります。
(*)鉛製の型に沿って自動切削することで、木工製品を複製・量産できる機械

橋爪:山中は海外の技術書を取り寄せて学び、自ら機械を開発することもあったそうで、創業当初から “工芸の工業化” への強い意欲があったようです。その裏には『クオリティの高い家具を、より多くの方に届けたい』という想いがありました。現在もプロダクトを開発する際には、そのデザインを実現するための機械づくりから始めるほど、この考え方が浸透しています。

橋爪:その後、バブルが崩壊すると状況は一変し、家具の売上は全盛期の10分の1にまで落ち込みます。新たなブランドの在り方を模索していた中で2005年に始めたのが、12人の世界的な建築家やデザイナーとコラボレーションして椅子を製作する「nextmaruni」プロジェクトでした。そこで深澤直人さんと出会えたことが、マルニ木工にとって大きな転機となります。

ブランド復興の象徴「HIROSHIMA」
——「HIROSHIMA」アームチェアの誕生ですね。
橋爪:その通りです。社運を賭けて深澤直人さんと作ったのがこのプロダクトでした。最初はまだブランドの知名度が低かったこともあり、そこまで反響は大きくありませんでした。しかし「伊勢丹新宿店」での発売や「MONOCLE」への掲載、Apple本社オフィスでの採用などをきっかけに認知が広がると、国内外で徐々に人気を集め、マルニ木工を代表するプロダクトへと成長。モダンな木工家具をつくるブランドとして現在まで続けてこられる原動力となりました。

——社運を賭けたプロダクトの開発に、深澤直人さんとの協働を選ばれたのはなぜだったのでしょうか。
橋爪:ものづくりする者へのリスペクトをお持ちだったのが一番の決め手でした。「nextmaruni」プロジェクトで協働した際には、取り組み当初から工場に足を運び、『その技術があるならこんな椅子にしよう』とマルニ木工の特性を活かしたデザインを提案してくださったんです。

——「HIROSHIMA」アームチェアが世界で評価されている理由はどこにあると思いますか。
橋爪:触れたくなること、座りたくなること、そして長く使いたくなること。人が感じる、そうした普遍的な心地よさがあるからではないでしょうか。
発売前の試作品を見た深澤さんは、背からアームへと続く部分を指して『もう少し溶かしてほしい』と言いました。“溶かす” とは、面と面の境界をなじませ、より自然な線へと磨き上げること。背からアームへと流れる曲線を何度も見直しながら、理想のかたちを追求しました。「HIROSHIMA」アームチェアには、図面だけでは表現しきれない曲線が数多くあります。


確かな技術で、長く使い続けられる家具を
——マルニ木工のものづくりの特長はどこにあると思われますか。
橋爪:やはり長年木を扱ってきたからこその技術力の高さではないでしょうか。深澤さんに続いてジャスパー・モリソンさんをデザイナーにお迎えし、プロダクトを数々製作しているのですが、試作品を見ていただくたびに『他の家具メーカーのように細かく確認しなくても良いくらい、マルニのものは完成度が高い』と驚いてくださいます。デザインの意図を的確に汲んで実現できる技術力の高さは、デザイナーとの信頼構築に大きく寄与していると思います。

——マルニ木工が考える “本当に良い家具” とは、どのようなものでしょうか。
橋爪:私たちは家具を “売って終わり” のものだとは考えていません。現社長も『私たちは日々、樹齢80年以上の木材を使ってイスやテーブルを作っています。その製品が5年で壊れるようじゃ話にならない。50年、100年使えるものを作る責任がある』と話しています。だからこそ私たちは単に見た目の美しさや機能性だけでなく、長い時間の中で使い続けられる家具をつくりたいと考えています。

マルニ木工が目指す、家具と住まいが共に育つ暮らし
——日本の住空間に対して感じていることはありますか。
橋爪:家具だけでなく、住まいそのものも “長く使う” という意識がもっと広がると良いなと思っています。本物の素材を選び、リノベーションやメンテナンスを繰り返しながら使い続ける。そうすることで家具と住まいがお互いに経年変化する過程そのものを楽しめるようになると思うんです。
その第一歩として、マルニ木工では家具のリフォーム事業にも力を入れています。長く使える家具をつくる以上、その後の修理やメンテナンスまで責任を持ちたいという考えからです。

次の100年へ、受け継がれる価値
——最後に、これからの展望について教えてください。
橋爪:私たちの原点である “木” を最大限に活かすための取り組みを行っていきたいと思っています。その一巻として、直近では2025年にオリジナルのサウナをリリースしました。日本では杉やヒノキなどの針葉樹が豊富に採れるのですが、柔らかすぎて家具製造には適していないんです。そんな素材を活かす方法を考え、プロダクト開発に着手しました。

橋爪:また創業者が掲げた『日本の住文化を豊かにしたい』という想いは今も変わっていません。私自身、入社して20年以上になりますが、時代や商品が変わっても、その根底にある考え方は変わっていないと感じています。100周年はゴールではなく通過点です。これからも広島から世界へ向けて、長く使うことの価値、本物と暮らす豊かさを発信していきたいと思っています。

木にこだわり、木工に生きる。橋爪さんの言葉の端々から伝わってきたのは、素材への敬意と、 “100年後も誰かに愛される家具をつくる” という決意でした。その哲学は家具づくりにとどまらず、空間のあり方や暮らし方の提案にもつながっています。
次回の後編では、東京・東日本橋にある直営店「maruni tokyo」を訪ね、マルニ木工が考える豊かな住まいと、家具を取り入れるためのヒントをお届けします。

橋爪 沙織 Saori Hashitume
マーケティング本部 ブランドコミュニケーション部
広報・PR 部長
2005年にマルニ木工へ入社。企画・販促部門で会場構成などを担当した後、2012年より広報・PRを担当。ブランド戦略や情報発信、外部デザイナーとの企画展示など幅広い業務を通じて、相手の本質的なニーズを捉えながら、ブランドの価値やものづくりの魅力を伝えている。





