夢を追う人々が住まう「六本木」の、地に足着いた暮らし
東京のビジネスの中心地として、また観光地として世界中からたくさんの人が訪れる街「六本木」。「六本木ヒルズレジデンス」を筆頭に高級レジデンスが次々開発され、“成功者の住む街” というイメージも定着しています。そんな六本木の街もかつては閑静な住宅地で、ごく普通の暮らしがそこにありました。今回は、六本木で生まれ育ったFさんに、街での暮らしについて伺いました。
お屋敷街から日本一のビジネス街へと変貌を遂げた街「六本木」
江戸城の南西に位置する六本木は江戸時代、城から距離があったため、田畑の広がるのどかな土地だったようです。当時、飯倉六本木町、龍土六本木町という小さな集落はあったものの、それ以外の広大な土地は武家屋敷と寺社が占めていました。土地を贅沢に使った武家屋敷は、明治時代になると払い下げとなり、大使館や軍の施設に姿を変えていきます。現在の華やかな雰囲気からは想像もできませんが、戦前の六本木は軍隊の街として発展していきます。1936年の「二・二六事件」の主力部隊も六本木を拠点にしていました。
街の雰囲気がガラリと変わったのは終戦後。日本軍の土地は米軍に接収され、1952年の占領が終わるまでGHQの拠点が置かれました。当時は日本人が簡単に近づくことができなかったそうですが、戦後の復興とともに、少しずつ米兵を相手とした飲食店が増加。米軍の施設が日本に返還されると、米国文化の残る六本木は、若者の街へと変貌を遂げていきます。レストランやカフェ、ディスコなど、流行最先端の街として賑わい続けました。
大きな転機となったのは、「六本木ヒルズ」が完成した2003年。15年以上かけて行われた再開発は、当時国内最大規模の大工事でした。オープンから約20年経った今、さらなる再開発も計画されており、これからも街は大きく変化していきそうです。
今回は、そんな六本木の街の変遷を見守ってきたFさんにお話を伺いました。現在「六本木ヒルズ」が建つ敷地内の一軒家で生まれ育ったFさんは、六本木とタイの二拠点生活をしていらっしゃいます。
かつてあった「普通の街」の「普通の暮らし」
――Fさんは生まれも育ちも六本木と伺いました。
Fさん(以下、F):そうなんです。祖父の代から六本木に住んでいます。僕が生まれたのは、今「六本木ヒルズ」がある場所です。ちょうど「さくら坂公園」があるあたりですね。普通の一軒家で、祖父母、両親の三世代で暮らしていました。再開発が始まり立ち退くことになったのですが、生まれ育った家がなくなるのは寂しかったですね。それでも街が良くなるならば仕方ないと、受け入れました。
――当時の街はどのような雰囲気でしたか?
F:子供の頃は一軒家が並び、昔からの住人が暮らす、ごく普通の街だったんですよ。六本木から麻布十番の方に抜けると商店街があり、駄菓子屋さんや釣り堀もありました。今の姿からは想像もつかないでしょうけれども…。当時、おばあちゃんが東京タワーで土産物屋さんをしていたので、よく自転車で売上金を受け取りに行っていたんです。帰り道、そのお金でゲームセンターやボーリング場で遊んでいたんですよ。今はもう、街がすっかり変わりましたね。麻布十番の商店街はまだ健在ですが。
――街が変わって、どのように感じていますか?
F:昔はこんなに観光客が来るような街ではなかったので、びっくりしてしまいますが、交通の面では日比谷線に加えて大江戸線の駅もできましたし、街に何でも揃っていてとにかく便利です。街がきれいになって住む人も変わったので、昔のようにラフな恰好で出歩けなくなったのはちょっと困りましたが(笑)。
――現在はどちらにお住まいなのでしょうか。
F:六本木ヒルズが完成してからは「六本木ヒルズレジデンス」に住んでいたのですが、現在はすぐ近くの別の場所に引っ越しました。その後タイに移住したのですが、家はそのままにしてあり、たまに帰国して…という感じです。生まれ育った街なので、六本木に帰ってくると地元の友達と会って、馴染みの店に行って、と楽しく過ごしています。
成功を収めた努力家たちのエネルギーが受け継がれる街
――六本木ヒルズでの生活はいかがでしたか?
F:六本木ヒルズの住民は経営者の方が多く、努力してきた方ばかりです。そうした先輩方は下の世代に惜しみなくアドバイスをくれるんです。『私は50代でこれを叶えたけれど、君はこのアドバイスを聞いた分、私より早く成功するはずだ』と。そういう刺激や励ましをもらえるのは六本木ならではだと思いますし、先輩方のように夢を叶えて、今度はそれを自分より下の世代に伝えていきたいですね。
――六本木に暮らす方々は、どんな方が多いのでしょうか。
F:僕がこの街に暮らしていて実感するのは、皆ごく普通の生活をしているということですね。もちろん富裕層と呼ばれる方が多いのですが、生活はまったくギラギラしていないんです。いわゆる “六本木” と聞いてイメージするきらびやかな感じは全然ないですよ。目立つことを好まない方が多いですし、僕自身も含めて、自慢とかマウンティングとかそんなものにはまったく興味がない。この街の人たちは堅実で、地に足の着いた暮らしをしていると感じます。
――街にお気に入りの場所などありますか?
F:たくさんありますね。麻布十番の「堀井更科」、六本木の「叙々苑」、「赤坂砂場」、「ステーキハウスハマ」、「瀬里奈」などは、子どもの頃からの馴染みの味ですね。父が美食家だったので、子どもの頃からいろいろなところへ外食に連れて行ってくれたんです。家庭を持ってからのお気に入りは…そうですね、ミッドタウン裏の「檜町公園」なんかはいいですね。子どもを散歩に連れて行くのにとてもいい場所です。散歩帰りに「エノテカ」に寄ってワインを買うのも好きなんです。六本木は意外に緑が多いので、散歩する場所もたくさんあるんですよ。
――子育て環境はいかがですか?
F:それはもう、とてもいいですね。港区は子育て支援がとても手厚いんです。役所の人もとても親切で温かいと感じます。また、住民も経済的に余裕があるからか、子どもに寛大な人が多いようにも思います。赤ちゃんを連れていて、嫌な顔をされたことはないですね。
――現在はタイにお住まいとのことですが、六本木を離れてみて、改めて感じることはありますか?
F:タイの暮らしはとても気に入っていますが、それでも、六本木に帰ってくるたびにこの街の “食の素晴らしさ” には感動してしまいますね。バリエーションが豊富で味のクオリティがとても高いので。また、少し歩けばなんでも手に入る便利さと、スーパーやジムは上質なところが多いのも魅力です。そんなところは六本木ならではですね。
――最後に、Fさんにとって豊かな生活とは、どんなものだとお考えでしょうか。
F:自分がやりたいことを追求できる自由ですね。
僕には船で世界一周、世界中でゴルフプレイ、カーレーサー…とやりたいことが本当にたくさんあって、何一つ『できない』とは思っていないんです。タイでの暮らしもそうですが、これまでも諦めずに追い続けた夢をいくつも実現してきました。そういったことができることが豊かさと言えるかなと思います。
今は、六本木とタイの2拠点で暮らしていて、タイではゴルフをしたり家族とのんびり暮らして、六本木では友達や先輩に会っていい時間を過ごしたり、身体を鍛えたり、そういったことが豊かさと言えるかなと思います。
――ありがとうございました。
多くの成功者が住まいを構え、同じ街に住む後輩たちに「自分より早く成功してほしい」と惜しみなくアドバイスを贈り、そのアドバイスを受けた人がまたいつか若い人にエールを送る…そんなポジティブな循環が、この街の一番の特徴なのかもしれません。
街に高層ビルがひしめき、多忙なビジネスマンの暮らすクールな街という印象をある一方で、Fさんのお話を伺うと、いつか六本木に住みたいと夢見る若者を受け止める温かさも感じられました。Fさん、ご多忙の中ありがとうございました。