江戸から未来へ、変遷する「日本橋」
2004年に「コレド日本橋」が誕生して以来、街の様相が大きく変化している日本橋。昭和通りの東側は近年マンションが増え始め、住む場所としても注目を集めています。日本橋の変遷とこれからについて、昭和21年(1946年)からこの地に店を構える、うなぎの老舗「日本橋いづもや」の代表取締役、岩本公宏(いわもとたかひろ)さんにお話を伺いました。
商業・金融の街として発展
江戸の中心市街地として繁栄した日本橋は、都心の中でも長い歴史と伝統をもつ数少ない地域です。江戸時代は日本橋が五街道の起点。そのため地方から人と物が集まり、またここから地方へと循環していました。日本橋川や亀島川をはじめ河川も多く、水運も発達。築地市場ができる以前は、川沿いに魚河岸がいくつもあり、活気に溢れていました。
現在、日本銀行本店本館となっている日本橋本石町(ほんごくちょう)2丁目は、かつて金貨幣の鋳造所である金座があった場所。この金座をはじめ、日本橋エリアには両替商などの金融機関が集積し、やがて日本の “ウォール・ストリート” と言われる日本橋兜町へと発展していきます。
松坂の豪商、三井家が日本橋に開いた三井越後屋呉服店は、日本初の百貨店「三越」の前身。その成功を礎に旧三井財閥が形成されていきました。このような歴史的背景から、日本橋には三井不動産が数多くのオフィスビル・複合商業ビルを所有しているのも特徴です。
近代以降も商業・金融の中心地として重要な役割を果たしてきた日本橋。
日本銀行本店本館を始め、三井本館、日本橋三越本店本館、髙島屋日本橋店本館といった重要文化財に指定されている建築物が今も数多く残っています。
首都高が地下に移る
2004年に東急百貨店日本橋店(かつての白木屋)跡地に「コレド日本橋」が誕生して以来、日本橋にも新しい時代の波が訪れています。2024年3月からは、日本橋の上を覆っていた首都高速道路を地下に移設する事業がスタート。同時に、日本橋川周辺の5地区で、大規模な再開発「日本橋再生計画」が進められています。
日本橋と名のつく町が21もある
中央区の日本橋地区は約2.70㎢の広さ。その中に、日本橋茅場町、日本橋人形町など、日本橋と名のつく町が、実に21も存在します。一般に “日本橋” と聞いて思い浮かぶのは日本橋三越本店本館と日本銀行本店本館がある、地下鉄銀座線「三越前駅」周辺。
まさにそのエリアに昭和21年から店を構えているのが、老舗うなぎ店「日本橋いづもや」です。代表取締役 岩本公宏(いわもとたかひろ)さんをお訪ねして、本石町3丁目の「日本橋いづもや本店」へ伺いました。
道路一本挟んで隣接する本石町2丁目は一区画丸ごと「日本銀行本店本館」という場所。創業当時のままの日本家屋は、古き良き日本橋の風情を感じさせます。
岩本公宏さん(以下、岩本):おもてなしをして、うなぎと日本料理を召し上がっていただいくというのは、ずっと変わっていません。新しい試みとして、うなぎづくしコースというのを作りました。小さいポーションで少しずついろいろなものを、というのが最近の傾向ということもあり、ご好評をいただいております。
岩本:江戸時代は参勤交代で、地方から色々な人や文化が江戸に持ち込まれ、融合しました。それが地方に伝わって刺激を与え、独自の発展を遂げ、再び江戸に戻ってくる。そのような文化のキャッチボールで江戸はできていたわけです。
岩本:そういう意味では、江戸の中心地だった日本橋に、最先端の商業施設や日本初出店のホテルができるのは、自然の成り行きなのかなと。そのような形で今の日本橋のめざましい発展がある中で、うちの店は変わらずここに佇んでいます。
江戸城の城下町だった
――紀尾井町や三田など、都心の一等地は武家屋敷だったところが多いですが、日本橋はいかがですか?
岩本:武家屋敷があったのは、江戸城を囲む外堀(現在の外堀通り)の内側です。日本橋は外堀の外に位置しています。この界隈は城下町でした。“下町” というのは、城下町の略。もともと町人の街だったので、その職業にちなんだ町名がいまだに多いです。
――日本橋は商人の街なんですね。
岩本:商人もいたけれど、職人も多い街でした。江戸時代はみんなこの街に住んでいて、住んでいるところに働き場所があった。ここに衣食住のすべてが集結していたんです。今は高級なマンションも増えたので、さすがに以前とは住んでいる人のキャラクターが変わってきていると思いますが。
住む場所としての日本橋
現在、日本橋と呼ばれているエリアは昭和22年(1947年)に日本橋区と京橋区が合併して中央区ができるまで、日本橋区という独立した区だった歴史があります。昨年(2023年)、中央区の人口は70年ぶりに過去最多を更新。今年も引き続き増加しています。日本橋エリアにもタワーマンションが増え、これから住みたい場所として注目度が上昇中。
岩本:住む場所として考えるのであれば、人形町、水天宮前あたりから神田川に向かって広がるエリアですよね。小伝馬町、大伝馬町、東日本橋、馬喰横山、浜町界隈は、新しいマンションが多いですね。
岩本:昭和通りを境に西側は商業地区で、東側が住むエリアという感じだと思います。ですが最近、東のエリアにはカフェや、昔の問屋さんをリノベしたおしゃれなお店ができ始めています。マンションだけではなくて、人と人が交流する新たな場所が生まれてきていますね。
学区を超えて通学できる特認校
子育て中の家族にとっては、どんな教育機関があるかも関心の高いポイントです。
――日本橋に住むとしたら、小学校はどこになるのでしょうか。
岩本:この店の目の前に常盤小学校があります。他では、中央区八重洲の城東小学校、銀座の泰明小学校などが挙げられます。これらの学校は、特認校と言う制度を導入しています。抽選になりますが、中央区の住民であれば、通学区域を超えて入学できるんです。常盤小学校には、学区外から大型のバスで小学生が大勢登校してきますよ。
岩本:この本石町、室町、本町は「常盤小学校」の学区ですけれども、小学生はほとんどいません。ビジネス街なのでそもそも住民が少ない上に、お子さんが独立しておられるご家族が多いのがその理由です。居住者の高齢化が進んでいるということですね。
都心の山手エリアとの違い
――住む場所としての日本橋の魅力は、どんなところにあると思われますか?
岩本:この日本橋界隈、神田から門前仲町、深川のほうも含めて、昔ながらの街のあり方がまだ残っているように思います。
――たしかに江戸情緒が感じられますよね。山手線の西側とはまた違った雰囲気です。
岩本:江戸風の街並みや歴史、祭りなど、町人の文化が好きな人たちは、どちらかと言うとこちら側にやってきますよね。そういう新しい住民の方たちが、地元の伝統的な行事に参加してくださっているんですよ。そのようにして街が変化していくのだと思います。100年200年経ったら、また違う日本橋が出来上がっているのではないでしょうか。
岩本さんならではの「日本橋」の楽しみ方
岩本さんは江戸時代の文化や歴史にとても詳しく、お話にどんどん引き込まれていきました。講演を依頼されることも多いというのも納得です。
本業では、「日本橋いづもや」の代表取締役として会社を切り盛りする他、お料理の開発にも関わられています。また、地域の町会や飲食店組合の一員として参加する、日本橋を盛り上げる活動も多岐に渡ります。
そんな、いつもお忙しい岩本さんにとっての「豊かさ」について伺いました。
岩本:強いて言えば元旦ですかね。自由な時間があるという意味では、元旦が豊かです。どこからも業務連絡が来ないですから(笑)
――最後に、日本橋に詳しい岩本さんの行きつけのお店を教えていただけますか。
岩本:洋食屋の「レストラン桂」をおすすめします。ここのメンチカツは、円形のメンチに綺麗に真半分にデミグラスソースがかかっていて、そのフォルムだけでも美しいのですが、それをお箸で割ると肉汁がじゅわっと出てきて、デミグラスソースと交わるんです。そこに割ったメンチの中のひき肉をたっぷりつけて、ご飯にワンクッションさせて食べるのが本当に最高です。
江戸時代から変化とともに歩んできた日本橋。今年(2024年)から始まった「日本橋再生計画」が完成するのは2040年の予定。首都高速の高架が外れて空が開け、歴史・文化と最先端の都市機能が共存する。より魅力あるエリアへと大きく変貌する日本橋の今後が楽しみです。
岩本 公宏 Iwamoto Takahiro
「日本橋いづもや」代表取締役 2001年いづもやに入店。祖母の代から続く「日本橋いづもや」の三代目として日々料理の開発を行う傍ら、江戸の鰻の味を現在に伝える活動を行っている。
「日本橋いづもや」
昭和21年に創業。紀州備長炭を使用した蒲焼きのうな重から白焼きまで老舗の味をお届けする。本店本館は創業当時の建物のまま、趣のある部屋で極上のうなぎを味わえる。
本店 〒103-0021 東京都中央区日本橋本石町3-3-4
日本橋三越店 〒103-8001 東京都中央区日本橋室町1-4-1 日本橋三越本店 地下1階
https://www.idumoya.com/