日本の伝統美、唐紙の可能性を現代に拓く「野田版画工房」

2023.04.28

日本では古来、暮らしの空間に襖や衝立などの美しい表具を取り入れ、自然と通じ合うような絵柄や天然素材の豊かな風合いを愛でてきました。野田拓真さんと藍子さんご夫妻が営む「野田版画工房」は、そんな和の表具の世界に新たな風を吹き込む存在。「唐紙」(からかみ)という伝統技法に独自の図案と画法を掛け合わせ、現代性を帯びたデザインの表具やアート作品を繊細な手仕事で制作しています。

BEARSがリノベーションを手がけた「コープオリンピア」ではメゾネットの上下階にパネル作品を、そして今春竣工を迎えた「ドルフ・ブルーメン」にはリビングの顔となる茶室の襖を納めていただきました。大胆さと温もりが共存する特別な存在感で空間を彩り、触れる人の心を動かす作品の魅力、そしてアートと暮らす豊かさについて、お二人にお話を伺います。

2回にわたるインタビューの前編は、工房の紹介に始まり、野田さんが出会った唐紙の魅力、ご夫婦での制作スタイルや作品への想いについて語っていただきました。

ドルフ・ブルーメンの襖作品。次回の後編で制作秘話をご紹介します ©SS/Keishin Horikoshi 

空間を彩る唐紙の美しさに魅せられて

──本日は野田さんが工房を構える滋賀と東京をつないでのインタビューです。まずは、野田版画工房についてご紹介いただけますか?

野田拓真さん(以下 野田(拓)):私たち野田版画工房は、琵琶湖の東側に位置する滋賀県東近江市を拠点に、唐紙の技法を応用した独自の表具やアート作品を制作しています。私が主に紙の染色や手摺りによる型押し、仕立てを担当し、妻が版木(はんぎ)のデザイン制作を行なっています。

野田藍子さん(以下 野田(藍)):独立を機に生まれ育った京都から移住してこの春で12年。紅葉の名所として知られる「永源寺」にほど近い、のどかな山あいに住居兼工房を構えています。周囲には里山の風景が広がり、移住当初は静かすぎて眠れなかったほど。人里離れている訳ではないものの、猿の群れが屋根を走り、身近に蛇やアナグマに出会うんですよ。

穏やかな里山の緑に囲まれた工房

普段は自然に囲まれて人の多いところから離れているので、刺激を求めてときどき街へ足を運ぶ一方、制作にはとても恵まれた環境だと感じています。田んぼに映り込んだ雲や山の姿など、四季ごとの小さな風景に感動する日々。生まれ育った環境と違うからこそ、目にするすべてが創作のモチーフになっていますね。

──自然豊かな環境から多くのインスピレーションを得られているのですね。唐紙との出会いや魅力についてもお聞かせください。

野田(拓):私たちは二人とも京都の美術大学で銅版画を学び、私が将来の方向性を見定めるタイミングで出会ったのが唐紙でした。唐紙とは、顔料で染めた和紙に木版手摺を施した装飾紙の総称。奈良から平安の時代に中国から伝わったと言われています。『興味のある版画を仕事にできるなら』と門を叩いた老舗の唐紙工房で修行するうちにその美しさに魅せられ、人生をかけて突き詰めていきたいと思うようになりました。

唐紙づくりはまず、胡粉(ごふん)や雲母(きら)、群青、黄土といった顔料を調合することから始まります。次に「具引き」と呼ばれる薄化粧を和紙に施したら、古来の「篩」(ふるい)という道具を使い、版木に絵の具を均一に乗せていきます。最後は、手のひらで優しく撫でるように、版木から和紙へと文様を摺り写します。

篩を使って版木に絵の具を乗せる野田さん 

そのようにして、手作業で一枚一枚を摺り上げた唐紙は、独特の光沢や陰影、美しい表情を持ち、暮らしの空間に深みのある彩りを生み出します。和紙の質感や厚み、顔料の配合はもちろん、刷毛(はけ)の動かし方ひとつで仕上がりに大きな差が生まれるため、技術や経験値に加え、研ぎ澄まされた感覚が問われますね。

伝統美と斬新な発想から生まれるオリジナリティ

──野田版画工房らしさはどんなところにあると思いますか?

野田(拓):野田版画工房は、唐紙の老舗で修行した私と、従来の唐紙のルールに囚われない妻が協働し、伝統に新しい発想を加えることで、自分たちならではの世界観を追求しています。唐紙としての美しさを大切にしつつも、より自由に面白く、触れる方の心を動かすような表現を生み出していけたら。

──藍子さんの版木づくりについても聞かせてください。

野田(藍):私は作品の素材となる版木を制作し、その素材から夫が作品を生み出します。たとえるなら、楽器で音をつくる人と、その音色から曲を編む人のような役割分担ですね。版木は夫の解釈でまるで生き物のように変化します。装飾的な文様に終わらず、絵画的で心で感じる文様を生み出したいと考えています。現在100を超えるデザイン案が手元にあり、版木に起こす時を待っています。

──ご夫婦での共同制作はいかがですか?

野田(藍):独立当初は1から10までを二人で話し合っていたのですが、今ではそうした打ち合わせをせず、完全分業制になりました。良いものが生まれるためには、制作する本人の直感や納得がとても大事。他者の感覚を入れない方が、最終的に美しいものが生まれると分かりました。今では『ひとつひとつの現場を大切に、自由に素晴らしいものをつくってほしい』と版木からの制作内容を夫に委ねるように。独立から試行錯誤の時間を重ね、より良い関係性が形になってきたのではないでしょうか。

──お二人での制作スタイルも進化していらっしゃるのですね。

大阪のガーデンデザインオフィス「萬葉」に納めた襖作品(2021) 

野田(藍):振り返れば、移住したこの地で子どもが生まれ、出会う人や物事の感じ方、表現も大きく変わりました。さらに、ここ5年ほどは新たな変化を感じています。一番はすべてを自分たちでやろうとせず、柔軟に人の力を借りるようになったこと。

版木について言えば、『木版は手で彫るもの』という概念をなくしました。機械の力を使ったり、木以外のものを版として活かしたり。繊細なにじみの線を表現できるようになり、作品の世界観が広がりましたね。

野田(拓):ここ数年は関わるプロジェクトの幅がどんどん広がってきました。いろいろな人の感性を交えてつくる機会が増え、現場での化学反応から生まれるものを楽しんでいます。施工などの工程は他の職人さんを頼ることも増え、よりクリエイティブな創作のために時間を割くようになりました。

琵琶湖畔のオーベルジュ「湖里庵」に納めた襖作品(2022) 

近年は個人邸にとどまらず、ハイクラスの宿泊施設や店舗への作品提供、展覧会への参加など、活躍の場をますます広げているお二人。エッジの効いた表現の中に、きめ細やかな手仕事の温もりと洗練を感じさせる佇まいは、BEARSの住まいづくりの哲学にも重なるものがあります。

次回の後編では、BEARSとの出会いとドルフ・ブルーメンでの襖の制作秘話、そして美しい表具やアートが彩る『心豊かな暮らし』について伺います。

どうぞお楽しみに。

DATA

野田版画工房

https://www.nodahanga.com/

代表 / 版画造形作家・野田拓真
1978年生まれ
嵯峨美術短期大学 美術学科版画科専攻
京都の老舗唐紙工房にて修行
2011年 独立を機に滋賀県東近江市へ移住し、野田版画工房を構える

図案家・野田藍子
1978年生まれ
嵯峨美術短期大学 専攻科混合表現 版画科専攻
卒業後銅版画工房を構え制作
2011年 野田拓真と共に野田版画工房を構える

Text by Jun Harada
Photos by Kazuya Sudo 
         

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