元アルペンスキーヤー・浦木健太が語る、
オーストリアの成熟した暮らしのリズム

2026.02.20

2月に開幕したミラノ・コルティナ五輪はいよいよ終盤戦。日々熱戦が繰り広げられる白銀の世界に、足を運んでみたいという方もいらっしゃるのではないでしょうか?

今回は元アルペンスキーヤーで、全日本アルペンチームのヘッドコーチとして2022年の北京五輪も経験した浦木 健太さんにインタビュー。現在お住まいのオーストリア・インスブルックでの生活から、豊かな暮らしのヒントを探ります。『昔は嫌いだった』というこの街が、離れがたい場所になった理由とは。

浦木さんのご自宅からの景色。青空と雄大な雪山のコントラストは息を呑む美しさ。

常夏のハワイから雪国・インスブルックへ

浦木さんはご自身の経験を活かし、オーストリアのスキーブランド「KÄSTLE(ケスレ)」の総代理店を日本で経営されています。その拠点として選んだのが、オーストリア西部にある観光都市・インスブルック。この地にたどり着くまでには、紆余曲折があったそうです。

浦木 健太さん(以下、浦木):ここに移住して7年目ですが、実はその前はハワイに住んでいました。私はスキーヤーとして高校時代をアメリカで過ごし、その後はアルペンスキー[*]のナショナルチームで2004年、29歳まで現役を続けました。引退後は帰国して大学へ進みましたが、途中で起業を決意します。きっかけは妻のウェディングドレスを見て『一度しか着ないのはもったいない』と思ったこと。ネット上で売買できる仕組みを作ったところ、事業に発展し、横浜でウェディングサロンを構えるほどになりました。その後、それを足がかりにアメリカのビザを取得し、2015年に家族でハワイへ移住したんです。

[*]雪山を相手に限界へ挑み、鋭いエッジで雪面を切り裂きながら最速のラインを描いてゴールへ突き抜ける、速さと技術と度胸のすべてが試されるヨーロッパで最も人気にある冬季スポーツ。

今回インタビューに応じてくださった浦木健太さん。オーストリアのケスレスキー本社にて。

浦木:現地でウェディング事業を広げる構想でしたが、競争が非常に激しく、本格展開は見送りになりました。事業自体は日本で続けながら次の道を模索していたところ、全日本スキー連盟からアルペンチームのヘッドコーチ就任の打診を受けたんです。スキーからは長らく離れていましたが、声をかけていただけたならとチャレンジすることにしました。

ハワイにて、息子さんとゴミ拾いをしたときの一幕。

浦木:ハワイとヨーロッパを往復しながら1年ほどヘッドコーチを務めましたが、地球の真裏ともいえる場所の往復に限界を感じていました。またチームをマネジメントするには現地に根を下ろす必要があると考え、2019年にインスブルックへ移住したんです。

ヘッドコーチを退任してからは、現役時代に愛用していて思い入れのあったケスレのスキー用品を日本にも広めたいと、オーストリアにある本社に直談判。日本の総代理店契約を結び、ここからリモートで経営しています。

“嫌いな街” が “ずっと暮らしていたい街” に

浦木:現役時代もインスブルックを拠点に活動をしていたんですが、当時は大嫌いでした(笑)。食事は日本の方がおいしいし、“古くて暗い街” という印象があって。アメリカ生活が長かった自分にとっては、自由で開放的な空気の方が合っていたんです。そんなところに家族と住むことになるなんて想像もしていませんでした。

それが今では『できればずっと暮らしていたい』と思えるほど、居心地の良い場所になっています。当時はわからなかった街の魅力に、移り住んだ7年ほどの間で気付くことができたんです。

浦木さんがお住まいのアルトランス。インスブルックの中心街から車で10分ほど山を登った場所にあり、アルプスを背景にのどかな風景が広がる。

雄大な雪山に囲まれたインスブルックの街並み

浦木さんが気付いたインスブルックの魅力とはどのようなものなのでしょうか。その街並みや住人のライフスタイルに迫りました。

浦木:インスブルックはチロル州の州都で、人口は13万人ほど。規模は決して大きくありませんが、空港があり、アルプス観光の拠点として世界中から人が集まります。

街の中心部は歴史を感じる建物が連なり、その背後に切り立った山々が迫る、独特の光景が印象的です。建物は淡いオレンジ、ピンク、イエローといった色に統一されています。景観の規制が厳しく定められており、奇抜な色や形にすることができないんです。

中心街の様子。昔ながらの趣とパステルカラーが印象的な建物が並ぶ。

浦木:古い建物を壊すのではなく、丁寧に修繕しながら使い続けている点も特徴ですね。オーストリアのほとんどの地域では基本的に外国人が土地を購入することはできません。外資が流れ込んで、長く守られてきた街の風景やライフスタイルが変わってしまうことを防ぐためです。

またこちらでは “借金は建物とともに代々引き継いでいくもの” という考えが浸透していて、お金を借りて建物に投資することを厭わないんです。例えばコロナ禍には休業を余儀なくされたお店や宿泊施設がみんな、ここぞとばかりに改装を行っていました。とても大らかで、持っているものへの自信がなくてはできない考え方ですが、それが今の街並みや観光地としての人気を保てている要因なのかもしれません。

中心街で楽しそうに過ごす奥様。7月から8月頃は最高気温が30度に迫る日もあり、少し暑いくらいの気温でも空気はカラッとしていて過ごしやすいそう。

次ページ▶ オーストリア人のライフスタイル、暮らしとスキーの繋がりについて

DATA

浦木 健太 Kenta Uraki

1975年東京生まれ。中学まで新潟県で過ごし、高校はアメリカへ。卒業後は全日本アルペンチームに10年間在籍し、ヨーロッパ各国を転戦する。その後、中国アルペンチームヘッドコーチを経て、自身の会社経営に従事。2018年から全日本アルペンチームのヘッドコーチとして雪上に復帰する。2022年にアルペンチームから離れ、現在はケスレスキー日本総代理店である株式会社エクスパンダをオーストリアからリモート経営している。

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