“食”で広がる家族ぐるみの交友「代々木上原」
緑豊かな環境と生活する上でのあらゆる利便性を兼ね備えた場所として、年々人気が高まっている「代々木上原」。今回はこの地に20年以上お住まいの歯科医Sさんに、街の魅力をインタビュー。そこから見えてきたのは “食” と “ゆとり” に恵まれた暮らしでした。
街に流れる、”今の時代” の空気
街に入ってみると地元の人が通う小さなレストランや居心地の良いカフェが点在し、“ゆったりと、丁寧に暮らすこと” を大切にする、今の時代の空気が流れています。


ここは古くから住む富裕層の他、進取の気鋭に富んだクリエーターやアーティストも数多く住む場所。両者が混在することで、上質な山手文化が熟成されています。都心の一等地の中でも特に洗練されたイメージが定着しているのには、そんな背景があるからなのでしょう。

田園から住宅地へ。代々木上原の変遷
かつては人里離れた野原だった
では、現在の代々木上原の街はどのように形成されていったのでしょうか。
大正元年に誕生した唱歌『春の小川』。これは作詞をした高野辰之が、当時まだ豊かな田園だった代々木村に流れる小川を歌ったものと言われています。


高野辰之の散歩道だった小川沿いの道から、なだらかな坂(現在の井の頭通り)を上がって行ったところが今の代々木上原。人里離れたのどかな野原だったこの辺りが、高級住宅街として生まれ変わるきっかけは1927年(昭和2年)の小田急線開通でした。
財界人などが邸宅を構える大山町
その先駆けとなったのが、現在の渋谷区大山町です。ここは渋谷区内で最も標高が高い場所。見晴らしが良いこともあり、江戸時代から武家の屋敷が数多くありました。
大正末期になると当時華族となっていた紀州徳川家が、この一帯の土地の所有者となります。後に敷地を手放したことで住宅地へと変わっていくのですが、その過程で家名にちなみ「徳川山」と呼ばれるようになりました。
このあたりは土地が盤石で、関東大震災の被害が少なかったことも人気を集めた理由のひとつ。現在は多くの財界人など、日本でもトップクラスの富裕層が邸宅を連ねる高級住宅地となっています。

住人が語る、代々木上原の住環境
緑豊かな環境は子育てに理想的
今回お話を伺ったSさんは、四谷のご出身。現在も四谷で歯科医院の院長を務められています。皇居にも近い都心の一等地である四谷から、この街に移り住まれた経緯をまずお聞きしました。
Sさん(以下、S):私は四谷に生まれ四谷で育ち、30歳くらいまで実家におりました。その後、結婚を機に目黒のマンションに移り、そこに10年ほど住みました。上原に家を建てたのは、上の子が小学校に上がる頃ですかね。
――代々木上原を選んだのはどのような理由からですか。
S:ひとつは、緑が多さです。私が育った四谷にはあまりないので、自分の子どもは緑豊かな場所で育てたいという気持ちがあったのだと思います。子どもが小さい時は、近くの公園に毎週行っていましたね。


新宿まで5分、表参道へは6分の好立地
S:もうひとつは交通の利便性です。子どもが成城学園に通っていたので、代々木上原駅から成城学園前駅まで1本で行けると言うのも大きな理由でした。災害時の対応などの点から、学校からも「なるべく通いやすい場所」に住むことを推奨されていました。
小田急線の快速急行に乗れば、成城学園前駅まで約10分。反対方向の新宿までは約5分で着きます。千代田線を利用すれば、表参道まで約6分、日比谷や大手町までも20分以内です。都心の各エリアへのアクセスがとても良いのは代々木上原の大きな魅力だと思います。

――首都高速の「富ヶ谷出入口」も近いですよね
S:そうですね。ゴルフへ行ったり、温泉行ったり、月に2,3回は遠出をしているので、その点でもとても便利です。
――生活のしやすさはいかがですか?
S:近隣に昔ながらの商店街が5つあるし、スーパーは「Odakyu OX」など、いくつかあります。もちろん病院もありますし。日常生活に困ることはないですね。

暮らしを彩る、代々木上原の “食”
知る人ぞ知るレストランの宝庫
――長くお住まいになっていて、代々木上原の良さというのはどんなところにあると思われますか。
S:個人経営のレストランなど、こじんまりとした名店がすごく多いんですよね。非常にアットホームな街ではありますね。
――おすすめのお店を伺ってもよろしいでしょうか。
S:ジャンル分けで行くと、中華だったら「geeten(ジーテン)」。ジーテンは10席くらいかな。ご夫婦でやってらっしゃるんだけれど、あそこはいいですね。あとは、お好み焼き屋さんで「璃珠 (リジュ)」。お蕎麦屋さんは「ごとう」とか「武蔵屋」も結構好きです。和食屋さんもあるし、お寿司屋さんもあるし、大体8軒くらいのレストランを巡回していますね。

――中でも特におすすめはありますか。
S:代々木上原駅のすぐそばにあるイタリア料理の「funicula(フニクラ)」はすごくおすすめです。以前ここはお寿司屋さんだったんですよ。だから窓が障子になっていたり、中心にはカウンター席があるんです。ファミリーのお客さんが多い印象で、私も良く家族で訪れます。最近、「funico(フニコ)」という系列店ができて、そちらもおいしいです。


代々木上原に知る人ぞ知る小さな名店が多いのには、70年代に代々木公園の近くに「NHK放送センター」ができた事も一因。業界人が増え、地元の小さな飲食店が常連客で賑わうようになっていったそうです。

“食” で広がる居住者の縁
代々木上原の “食” の楽しみは、家族だけにとどまりません。
S:今、ご近所に住んでいる人たちで集まって定期的にご飯行く、何十人かのグループがあるんですよ。家族ぐるみのお付き合いをさせていただいている方もたくさんいます。
――そういう方たちとは、どういうきっかけで知り合われたのでしょうか。
S:学校の親の集まりで知り合った方も結構多いですし、馴染みのお店のオーナーさんから『こういうイベントがあるからいらっしゃいませんか』と、お誘いを受けることもあります。それと僕はテニスをずっと明治神宮外苑でやっているんですけれど、そこで知り合うことも多いんですよね。

――素敵ですね。ちなみに皆さん戸建てにお住まいなのですか?
S:マンションにお住まいの方もいらっしゃいますけれど、戸建ての方が多いかなぁ。ちなみに、僕の家の両サイドは外国人の方が住まわれています。隣家の方から『明日バーベキューやるからいらっしゃいませんか』とお誘いがあったり。そんな風に外国の方とのお付き合いが自然に始まることも、代々木上原らしいと思います。
街で叶う、好きなことを続けられる “豊かさ”
最後に、Sさんにとって豊かさとは何かお聞きしました。
S:健康でいられるというのが第一ですよね。それから、自分の趣味や好きなことができる環境。スポーツでもいいし、音楽でも何でもいいと思うんですけど。それが健康な状態で継続的にできるというのが豊かさかもしれないですね。

子育てには理想的な環境で住まいは戸建てで、仕事だけでなく趣味にも時間を割けるゆとりがあり、ライフスタイルの近い家族同士が “食” の絆で交友を深めていく。代々木上原の豊かな暮らしがどんなものなのか。Sさんのお話から、窺い知ることができたように思います。




