ゆとりのあるリラクシングな一等地「代官山」
洗練された雰囲気が漂う憧れの街「代官山」。2023年には隈研吾設計事務所による新たなランドタワー「フォレストゲート代官山」が開業し、今また注目が集まっています。そんな代官山の最新事情について、このエリアに長く住み、複数の事業を展開されている株式会社azas代表の河野裕志さんにお話を伺いました。
明治時代に高級別荘地として発展
古地図によると、江戸時代の代官山はほとんどが山林だったようです。江戸城近くに上屋敷を構える大名の抱屋敷(かかえやしき)が、その中に点在していました。
眺望もよく起伏に富んだ地形から、明治時代には岩倉家、古河家などの名家が別邸を構える高級別荘地へと発展。市内との行き来が容易になった明治末期には富裕層による大邸宅が増え、代官山は洋式の住宅が建ち並ぶお屋敷町となっていきました。

同潤会アパートとヒルサイドテラス
昭和以降の代官山を象徴する建物が「同潤会 代官山アパートメントハウス(通称、同潤会アパート)」です。関東大震災の復興のために、当時まだ雑木林だった傾斜地を造成し、庶民に最新の生活様式を提供する集合住宅として1926年(昭和元年)に完成しました。

猿楽町の旧山手通り沿いに「ヒルサイドテラス」がお目見えしたのが1969年。建築家の槇文彦が手がけた低層モダニズム建築の複合施設は雑誌にたびたび取り上げられ、代官山は “訪れたい憧れの街” としてイメージが定着していきます。
一時期は週末でも閑散としていた
このエリアに25年以上暮らされている河野裕志(かわのゆうじ)さん。高級ヴィンテージマンションとして有名な「キングホームズ代官山」にも長くお住まいだったそうです。そんな河野さんに、まず街の移り変わりについてお伺いしました。
河野 裕志(以下、河野):大学を卒業する少し前に、渋谷区桜ヶ丘に住み始めました。当時の代官山は旧山手通りにヒルサイドテラスがあって、八幡通りにはレトロな同潤会アパートが残っていて。とても雰囲気の良い、洗練された街という印象がありました。代官山アドレスがドラマ「やまとなでしこ」の舞台にもなったのも懐かしいです。

2000年に開業した「代官山アドレス」は、商業施設とレジデンスからなる大規模複合施設。河野さんの事業の一つ、ベビー用品店「blossom39」もこの地からスタートしました。その後、八幡通りを挟んだアドレスの向かい側に商業施設が相次いでオープン。反面、代官山という地域の個性が失われてしまいます。

河野:一時期は街が衰退して週末でも閑散としていました。その流れを変えたのが2011年の「代官山T-SITE」開業です。
蔦屋書店の登場で街が復活
「代官山T-SITE」は新業態の蔦屋書店を中心に置いた生活提案型の商業施設。

河野:蔦屋書店ができて、代官山に来る方がまた増えましたよね。旧山手通りを挟んで向かいにある「カフェ・ミケランジェロ」は週末には大行列です。

新宿三丁目まで約10分という便利さ
2013年には東急東横線が東京メトロ副都心線と繋がり、代官山駅から新宿三丁目駅まで約10分という距離に。また中目黒、渋谷、恵比寿が徒歩圏内という絶好の立地は、代官山の大きな魅力となっています。
――新しくできた「フォレストゲート」の印象はいかがですか?
河野:商業施設は犬連れで入れるカフェがいくつかあり、使い勝手がとてもいいと思います。レジデンスはオール賃貸で、空室が出ないそうですよ。


河野:弊社の事務所も近くにあるんですが、賃料は毎年値上がりしています。それでも、『代官山に出店したいから空きがあったら教えて』という友人が結構いますね。

では、この街にはどんな人が訪れ、どんな人が暮らしているのでしょうか。さらに詳しく伺いました。
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河野裕志 Yuji Kawano
風雅・azas代表取締役 2000年Web制作会社創業。風雅・azas設立後、blossom39を展開。現在、両社の代表取締役として経営全般を統括。

ダイカンヤマパンダ
代官山駅徒歩3分にある創作中華とナチュールワインのお店。フレンチ出身のシェフが手掛ける独創的な料理の数々は、点心や手作り豆腐の麻婆など、ワインとの相性を追求した逸品ばかり。200種類ものワインセラーには、希少なナチュールワインも並びます。 東京都渋谷区猿楽町26-2 sarugaku C-2F 電話番号 050-3574-0225 営業時間 17:00 ~ 00:00 定休日 月曜日と不定休 dpanda.jp