皇居に最も近い都心の一等地「番町」
皇居に最も近い高級住宅地として風格のある佇まいを見せる番町。この歴史ある街にも近年高層マンションが立ち始め、住んでみたいという若い世代の富裕層が増えています。では、もしこれから番町に住むことになったらどんな暮らしが待っているのでしょうか。都心の一等地の中でも別格のこのエリアに30年来お住まいの方に、番町の暮らしについてお話を伺いました。
明治の歴史は番町で作られた
番町は千代田区一番町から六番町までの6エリアの総称です。かつて江戸城の警備のために「大番組」と呼ばれた旗本たちの屋敷が集められたのがこの場所。大番組は一番組から六番組で構成されていたため、一番町から六番町という地名がつきました。
明治維新後は、広い面積を持つ旗本屋敷の跡地に華族や高級官僚、政治家が居を構えるようになります。皇居や中央官庁に近いこともあって、この地を住まいに選んだ要人も多数。たとえば第3代、第9代の内閣総理大臣を務めた山県有朋は一番町に、日露戦争の日本海海戦で連合艦隊を率いた東郷平八郎は三番町に邸宅がありました。
番町はこのようにして次第に格式の高い邸宅街へと発展していきます。
1875年(明治8年)には「英国公使館(1905年大使館へ昇格)」が千代田区一番町に進出。以来「ローマ法王庁大使館 」「ベルギー大使館」など、多くの大使館が設置され、インターナショナルな息吹が街に吹き込まれていきました。
1900年(明治33年)には、日本の女子教育の祖、津田梅子が「津田塾大学」の前身となる「女子英学塾」を「英国大使館」裏に創立。その志は現代に受け継がれ「大妻学院」「雙葉学園」「女子学院」など、名門女子校が集まっています。
また有島武郎や菊池寛などの文筆家、音楽の分野では作曲家の瀧廉太郎や山田耕筰、初代中村吉右衛門や初代市川猿翁などの歌舞伎役者と、多くの文化人が暮らした地としても知られています。
内堀通りを渡ればすぐに千鳥ケ淵という、散歩にはもってこいの場所です。このあたりに文豪が数多く住んでいたというのも納得がいきます。
時を経て魅力を増すヴィンテージマンション
今回、お話を伺ったS氏のお住まいは一番町にあります。番町の中でも一番町は最も皇居に近い場所。都内で会社を経営されているS氏は海外生活の経験もある方。外国人向けに作られた上質なヴィンテージマンションに1990年代から居住されています。まずこの街に住むに至った経緯をお伺いしました。
――都内の数ある高級住宅地の中で、なぜ一番町を選ばれたのでしょうか。
S氏(以下S):いろいろ見た中で、一番町のレジデンスが最も良かったからです。歴史の重みを感じる場所で、新興の住宅地とは明らかに趣きが違いました。外国人向けに作られているので天井が高いですし、間取りが日本人向けのマンションとは全く異なるのも気に入りました。
S氏のお住まいは、都内の一等地に外国人仕様の高級レジデンスを展開しているその分野では先駆的なシリーズのひとつです。最初に一番町に住んだ時はご夫婦お二人で。その後、お子さんが産まれて、最初の住まいの目と鼻の先にある同シリーズの別物件を購入。このとき同じフロアの隣り合わせの2物件を一度に購入して1つの住まいに改装されています。
S:広さが230平米になりましたので、用途の違うリビングを2つしつらえ、子ども部屋には専用のバスルームを作るなど、ライフスタイルに合った間取りを専門家と相談してレイアウトから考え、時間をかけてフルリノベーションしました。
建物自体は現在、築40年ほど。年月を経て雰囲気の良さには磨きがかかり、『新築の物件よりよほど躯体がしっかりしている』と太鼓判を押すS氏。
番町の中でも特別な一番町という場所に、しっかり腰を落ち着けて永く暮らすためにこだわって作られたプライスレスな価値のあるお住まい。そこに長く住んできた方だからこそわかるこの街の魅力について、さらにお伺いしました。
日常の買い物には困らない
このあたりは武家屋敷の名残りからか道幅が広く、美しく整然とした街並みがずっと続いています。駅の周辺を離れると人通りも少なく、生活感があまり感じられません。
――日常のお買い物はどうされているのですか。
S:今は少なくなりましたが、昔からの小さな鮮魚店や、青果店などがありました。ほかにもリーズナブルなグローサリーストアや小さなスーパーがありますので、買い物には全然こまらないですね。コンビニもたくさんあります。新宿通りに行けば「成城石井」もあるし。みなさんそのあたりで、散歩がてら買い物しています。
――長年住まわれてきて、街の変化を感じることはありますか?
S:大きなマンションが最近いろいろと建ちましたから、若い世代のお子さん連れの方が目立つようになりました。番町は千代田区の中では人口が増えているのでしょうね。私が住み始めた頃はまだそういう状況ではなくて、ご近所の方はみなさん、もっと昔から住んでいらっしゃる方ばかりでした。
――一番町にはどんな方がお住まいになっているのでしょうか。
S:昔からのお金持ちが多いという印象を受けます。2代目3代目と長く住んでおられる方が多いですからね。みなさん心に余裕があるからでしょうか、人のことを意識したり気にしたり、頑張ったりしないんですよ。私が一番町に住んで良かったと思うのは、そこがいちばん大きいと思います。
――ご近所付合いはされていますか?
S:ふだんはマンションの廊下でお会いして挨拶する程度ですけれど。そういう、ちょっとした言葉が交わされるときの人間関係の景色はほかの場所とは全く違うと思いますね。
都会のマンション生活では、隣に住んでいる人の顔をよく知らないこともあるもの。それに比べて一番町には、表立っては見えないけれど優美な人の和が存在するのだと、お話を伺っていて感じました。
東郷元帥記念公園と軽井沢の別荘が子育ての場
まだお子さんが小さくて、教育環境の良さを理由に番町に住みたいと思う方も多いはず。では、この場所でお子さんが生まれ育ち、成人したS氏の場合はどうだったのでしょうか。
S:親の視線で環境が良いと言いますけれど、名門校に入れるのが本当に子どもにとっていいのかどうか…。
子どもの性格にもよりますが、番町の歴史的なものにはとくにピンときていなかったようです。ただ、住んでいる人たちが言葉を交わすときの雰囲気や接し方を見て『ああこういう環境なんだ』というのが子どもにも伝わっていたように思います。
S:一番町ではほとんどのご家庭が軽井沢に別荘を所有されています。我が家でも子どもが小さいころは軽井沢に別荘がありましたので、ほかのご家族と同じように週末のたびに軽井沢で子どもを遊ばせるのが習慣になっていました。
お子さんを通じて家族付き合いが始まった方々とは、子どもたちが成人した今でも親交が続いています。
S: 軽井沢ではレストランなどでばったり一番町にお住まいの方と出会うことが多いんです。ふだん交流のなかった方とも、そこからお付き合いが始まっていったというところは一番町ならではだと思います。
家族ぐるみで交流することで実感できる“品格のある豊かさ”は名門校に子どもを入れるだけでは叶わないもの。番町に暮らす真の価値はそこにありそうです。
住んでいる人の波長が作る“雰囲気”が財産
ところでS氏ご自身は関西のご出身。一番町に代々住まわれているご近所の方々の中で違和感を感じなかったのでしょうか。
S:私は一番町の落ち着いているところが気に入って住み始めたのですが、もちろん最初はおたがいによそよそしかったですよ。公職で地位のある方や、経営者の方、お医者さんも多いです。考えようによってはハイソな人たちですよね。でも、ちょっと言葉を交わしたらすぐに打ち解けるような方ばかりで、難しい人はいないですよ(笑)
ホームタウンの一番町では仕事とは全く関係なく、気の置けない付き合いを楽しんでいらっしゃるS氏。そうした時間を持つことで心の緊張を解いているようにお見受けしました。「エリオ」に集まる顔ぶれにはお医者さんも多いそうですが、じつはS氏のお仕事は傾いた企業を再生させる言わば“会社のお医者さん”。
S:『自分たちの原点に戻ってしっかりこの会社を立て直そう』という気持ちを高揚させてみんなの行動が変わり出すと、会社って元気になってくるんですよ。これは利潤の追求だけを考えるあり方とは似て非なるものです。
今の世の中『お金のある人が上に立っているような、そういう価値観になってしまっていること自体が残念』ともおっしゃるS氏。
S:一番町にいる人はそうじゃなくて、生き方や考え方、豊かさや和み合うこととか、そこに品格があるように感じます。そういうことをみんなが自然に大事にするような街です。やはり受け継がれたものなんでしょうね。住んでいる人たちの波長が作る街の雰囲気こそが、番町の財産だと思っています。
いかがでしたか?
街にはその場所特有の波長があり、その波長に合った人が集まります。何に価値を感じるかは、生まれ育った環境やその後の経験などにより、人それぞれ。もしあなたがもとめるのものが“品格のある豊かさ”であれば。番町は温かく迎えてくれるに違いありません。