希少な時代家具を次の100年に繋ぐ「古福庵」
日本の伝統技術を現代に伝える時代家具の店「古福庵」。BEARSが “和モダン” をテーマにリノベーションを手がけた「ドルフ・ブルーメン」では、高輪のヴィンテージマンションの玄関扉に、100年以上の時を重ねた “蔵戸” を採用させていただきました。貴重な品々に丁寧な修復や調整を施し、再び世に送り出す。他のアンティーク家具店とは一線を画す「古福庵」独自のスタイルについて代表の髙木栄作さんに伺いました。
300坪の贅沢な空間に圧巻の品揃え
神奈川県相模原市に本店を構える「古福庵」。
ここは『まるで博物館のよう』と称される、和家具のアンティーク・マーケット。1階2階あわせて約300坪の売り場は関東最大級を誇ります。
扱っているのは、主に江戸後期から昭和初期にかけての家具と建具。『100年、心と技術で繋いでゆく』をモットーに、時代を超えて受け継がれてきた貴重な品々に丁寧な修復やメンテナンスを施し、再び世に送り出す。それが他の時代家具店とは一線を画す「古福庵」のこだわりです。
自然光の入る明るい店内は、たくさんの家具が見やすくセンス良くレイアウトされていて、宝探しのようにゆったりと落ち着いて一つひとつ見て回れるのも魅力。
BGMにモダンジャズが心地よく流れる中、「古福庵」代表の髙木栄作(たかぎえいさく)さんにお話を伺いました。
――こちらはアンティーク店で感じることがある重い空気がまったくないですね。驚きました。
髙木栄作さん(以下、髙木):クリーンで柔らかい雰囲気は常に意識しているところなので、そうおっしゃっていただけるのはとても嬉しいです。そのために女性スタッフを中心にお店のイメージ作りをしています。
――髙木さんは小さい頃からこういう古い物がある環境で育ったのですか?
髙木:そうですね。母が好きだったので、家の中にイギリスのアンティーク家具などがありました。父は工務店を営んでいたのですが、1997年に両親と私の3人で現在の「古福庵」の前身となる店を八王子で創業しました。
――それ以前は、何か別のお仕事をされていたんでしょうか。
髙木:いえ、私はこれが最初の仕事です。ずーっとこの世界にいて、気付いたらもう26年目です。インターネットの環境が整い始めた2005年に法人化しまして、WEBサイトを開設し、オンライン通販に力を入れたことで現在の「古福庵」の形がやっと見えてきました。
“船箪笥” が家具屋を育てた
――和のアンティーク家具というと、時代的には江戸時代のものが多いのでしょうか?
髙木:そう思われるかも知れませんが、実際のところ江戸時代に家具を所有できたのは貴族や武家、大商人くらい。庶民は衣類を収納する “こうり” というかごや、“ちゃぶ台” 程度のもので暮らしていて、家具らしい家具は持っていなかったんです。『時代家具の全盛期は明治の後半から大正の頭まで』とよく言われるのですが、そこで劇的に量産が進むんですよ。しかしそれ以降は、世界的な不況や戦争など不幸な時代が訪れて、家具は衰退していったという経緯があります。
――今残っている家具が流通していたのは、とても短い期間だったんですね。希少価値がある理由がよく分かりました。代表的な時代家具には、どんなものがあるのか教えていただけますか。
髙木:まずは台所で使われていた水屋箪笥(みずやだんす)ですね。今の食器棚に当たるものです。着物用には衣装箪笥。ご商売をされている方が使っていた帳場箪笥は帳面をしまっていたもの。ちなみにそろばんには専用の別の箪笥があります。「古福庵」では蔵戸や格子戸、欄間など “建具” と呼ばれる家具にも力を入れています。
――これまでの中で、特に印象に残っている家具はありますか?
髙木:船箪笥(ふなだんす)は個性豊かなので面白いですよ。鉄道が開業する明治初期くらいまで、日本各地を回っていた貿易船の船頭が、契約の時に使う印鑑や現金、許可証などを入れていた小型の箪笥です。船頭は肩で風を切って先を行き、その後ろを番頭が船箪笥を持って歩いていました。
――昔のエルメスやルイ・ヴィトンの船旅用のトランクみたいですね。あちらは衣類や身の回りの品を運ぶものだったので、用途は少々違いますが。
髙木:そうかもしれませんね。特に船箪笥はステータスの象徴だったので、他の船頭の船箪笥が自分のよりいいとなると、それ以上のものが欲しくなるんです。そういう競争心があったおかげで船箪笥がどんどん進化して、港のある舟町では家具屋が育ちました。佐渡(新潟県)、酒田(山形県)、三国(福井県)が、三大船箪笥の産地と言われています。前面に装飾の金具がびっしりとついた迫力のあるデザインのものなど、見たことないようなものがいまだに出てきますよ。
江戸から明治以降の庶民のライフスタイルの変化や、『ライバルに勝ちたい』という今も昔も変わらない人間の心理があったこと。そんな時代家具の背景を知ると、今この場所にある家具一つひとつに、ますます興味が湧いてきました。
なくなった金具を再生させる技術
――これだけの数の時代家具はどこから集まってくるのですか?
髙木:まずは人の繋がりですね。20年以上親しくお付き合いさせていただいている方が日本全国にいまして。特別なものはほとんどその方たちからですね。その他はお客様からの買取依頼ですとか、オークションなどで購入します。買取に伺ったケースでは『ここから見えるところは全部うちの敷地だったのよ』とおっしゃる旧家のお客様に今まで10人ほどお目にかかりました。
――どの商品も状態が良くて、すぐ使えそうですね。
髙木:私たちは店頭やWEBサイトで公開する前に、自社工房ですべての家具のコンディションを調整しているんです。どんなに作りの良い家具でも140〜150年経つと、傷がついたり、パーツが取れてしまったり、必ずどこかに悪いところが出て来ます。それが原因で処分されてしまうことが多いのですが、何かが足りなくても、それをそっと添えてあげる技術が「古福庵」の職人にはあります。
――なくなっている金具を再生できるんですか?
髙木:はい。古い鉄から小さいパーツを切り出して厚みを整えるという、細かくて根気のいる作業です。そのようなリストアは一体感を持たせることがすごく難しいのですが、どこを直したのか『社長分かった?』って聞かれるんですけれど、最近は職人の腕が上がって本当に分からない時があるんですよ。
希少な時代家具を現代に蘇らせるには、優れた職人さんが欠かせない存在なのだと、お話を伺ううちに徐々にわかってきました。
「ドルフ・ブルーメン」の玄関に合わせてリサイズ
今回BEARSが “和モダン” をテーマにリノベーションを手がけた「ドルフ・ブルーメン」では、「古福庵」の蔵戸を玄関扉に採用。その際、蔵戸のサイズが玄関よりも大きかったため、上下左右の寸法調整とそれに伴うリストアを行っていただきました。
――元々のサイズはかなり幅が広かったのですね。
髙木:「古福庵」がいちばんお客様に評価していただいているのが、商品をご購入いただく際に、経験豊富な職人のサポートを受けられるところです。たとえば、大きな蔵戸を「はいどうぞ」とただ渡されても、合わないことも多々あるじゃないですか。家のサイズと建具のサイズの相性がある程度良ければ、幅を詰めたり、高さを足すなど、設置場所に合わせてリサイズすることが可能です。そうやって新たな居場所になじむよう、職人が持てる技術を駆使して調整します。
買ってすぐ使える実用性が人気の秘密
「古福庵」がお客様に恵まれて好調な一方、今、骨董品を扱うお店は減ってきているそう。
――長い間、和のアンティークに関わってこられて、時代の変化を感じていらっしゃいますか?
髙木:この世界に入ったころは『時代家具はオリジナルでなければ無価値。壊れているものはそのままにしておく』というのがこの世界の常識でした。でも引き出しが開かない箪笥は家にあっても使えないですよね。コレクター向けの骨董品として時代家具を扱うお店が減ってきているのには、そのような理由があると思います。
髙木:蔵戸を玄関の扉にされる場合は、戸の厚みに対応できるものをメーカーさんに発注して、鍵を組み込む作業も承っています。過去に何度か実施済みですが、電子錠を取り付ければ、スマートフォンの操作で蔵戸を開けられるんですよ。そのようなお客様が使って便利な最新機能に関しては積極的に取り入れていきたいと思っています。
「古福庵」の時代家具の魅力は、コンディションが良いのはもちろん、日常生活の中ですぐ取り入れられるように調整されていること。それを可能にしているのが、伝統的な家具作りの匠の技と最新の技術の両方に精通した「古福庵」独自の職人のチームの存在でした。
次回の後編では、「古福庵」の時代家具に魅せられたお客様が、住まいの中にどのように取り入れ、愉しんでいらっしゃるのか。詳しくお伝えしていきますので、どうぞご期待ください!
髙木栄作|Eisaku Takagi
「古福庵」代表取締役
https://kofukuan.jp/
古福庵
明治時代から昭和初期頃を中心に、上質な時代箪笥・建具に限定して仕入れを行う専門店。
1994年個人事業主として時代家具の取り扱いを開始し、2005年に法人化。
関東最大級の300坪の店には希少な時代家具が数多く展示されている。
自社工房を備えており、家具職人が時代家具の素晴らしさを大切にしつつ、
リストアに取り組んでいる。