静謐な空気漂う街「松濤・神山町」

2023.08.04

都内屈指の高級住宅地として知られる松濤(しょうとう)・神山町。近接する渋谷駅周辺の町の喧騒が嘘のような静けさが広がります。政財界の要人も多く住み、大使館等も点在するこのエリアは、治安の良さと落ち着きのある住環境が魅力。美術館などの文化施設もあり、日常的にアートに触れる暮らしも楽しめます。この街に住む人はいったいどんな暮らしをしているのでしょうか。神山町エリアにお住まいになっている方にお話を伺いました。

渋谷の喧騒とは無縁の住宅地

渋谷区の南西部に位置する松濤・神山町エリア。渋谷駅から徒歩10分足らずというロケーションでありながら、人込みや騒音とは無縁の閑静な住宅地が広がります。町には散歩道として整備された場所もあり、晴れた日は青空の下、ゆるやかな傾斜のある道をゆったり歩くのも爽快です。このエリアは第一種低層住居専用地域に指定されており、戸建て住宅や低層マンションがほとんどのため、都会でありながらも空が大きく感じられます。

渋谷区の建築ルールにより、新築時の最低面積が200平方メートル以上と定められているため、大きな邸宅が立ち並ぶ。

松濤二丁目にある鍋島松濤公園では、約5,000平方メートルの敷地に木々が茂り、四季折々の自然が楽しめます。園内の池には湧水地があり、今も1日24トンもの水が沸き出でているとか。水車がクルクルと回り、昔話の世界にタイムスリップしたかのような風景が楽しめます。

緑の多い都市型公園「渋谷区立鍋島松濤公園」。春には桜が咲き、近くに住む人のお花見スポットに。
まるでどこか遠くに来たような錯覚に陥る園内。この池は今も水が湧いているという。
松濤公園のトイレ。ユニークな形は隈研吾のデザイン。文化・芸術の町らしく、トイレも芸術作品のよう。

江戸時代は大名の下屋敷。維新後は佐賀・鍋島家の土地に

公園名にある「鍋島」は、かつてこの地一帯を所有していた鍋島家に由来します。江戸時代、この辺りは紀州徳川家の下屋敷が置かれていました。参勤交代のため、地方の大名は江戸に屋敷を持つことになり、紀州徳川家は現在の赤坂御用地のある場所に上屋敷を構えます。そして、別荘のような意味合いを持つ下屋敷を、松濤に構えたのです。当時の松濤は、のどかな田園地帯だったのでしょう。隣接する駒場は将軍家の鷹狩の場所として有名です。
明治時代に入り、武士の時代が終わると、紀州徳川家の下屋敷は払下げとなります。そのとき、佐賀県の鍋島家がこの地一帯を買い取ったのです。

現在松濤中学校が建っている場所に鍋島家の本邸があった。

当時はまだ「松濤」という町名はなく、江戸、明治の古地図を見ても見つかりません。このエリアが高級住宅地・松濤へと発展するキーパーソンは鍋島家11代当主の鍋島直大(なべしま なおひろ)。戊辰戦争で佐賀藩の指揮を執り、明治政府の要職についた人物です。

直大は松濤に屋敷を構えた後、のどかなこの地でお茶の栽培を始めることを思いつきます。明治維新後、仕事を失った士族たちが生きていくために、仕事が必要だったのです。直大は、1876年(明治9年)、埼玉の狭山茶を移植して茶園を開園し、この緑茶の銘柄を「松濤」と名付けて売り出しました。茶園は1932年(昭和7年)まで続いた後、閉鎖。縁起の良い「松」に、波打つという意味の「濤」という雅なお茶の名は、茶園なき後も地名として残りました。茶園の一角が東京市(当時)に寄贈され、現在の鍋島松濤公園となっています。

戸栗美術館。陶磁器専門の美術館で、1987年、鍋島家屋敷跡に開館した。

直大は開国間もない時代に英国へ留学し、その後、駐伊特命全権公使としてローマに渡ります。帰国後は政治の世界で活躍する一方、東京音楽学校(現・東京藝術大学)開校記念歌の作詞を手掛けるなど、多彩な才能の持ち主でした。
文化・芸術と自然に恵まれ、各界の重要人物が集まる松濤・神山町エリアには、時代の最先端を走り抜けた鍋島直大の足跡が今もどこかに息づいているのかもしれません。

渋谷区立松涛美術館。区立ながら意欲的な展覧会を多数開催している。建物の内部に噴水のあるユニークな建築。

「記憶に残る道」とともに、暮らしていく

では、現代の松濤・神山町エリアにはどんな魅力があるのでしょうか。神山町に長くお住まいのTさんをお訪ねしました。Tさんは十数年前からこの地で飲食店を経営されており、ご家族で戸建てにお住まいになっています。

どのようなきっかけで神山町に住まわれたのですか?

Tさん(以下、T):いくつかある候補地の一つで、縁があってこの街に住むことになりました。
ここはもともとなじみのあった街で、以前、近隣のエリアに住んでいたので、渋谷に行くときなどによく神山町を通っていました。特に、東急本店から神山町に抜ける通りは、自分にとって記憶に残るような、印象の良い通りだったんですね。なんとなく『いい道だな』と思う道ってあるじゃないですか。道が広く、人通りがあって、渋谷への抜け道になっていてアクセスも良い。そういうところも決め手になったと思います。

――住み始めてから、街の印象は変わりましたか?

住み始めてからの方が、良い街だと感じますね。ここは長く住んでいらっしゃる方も多い場所ですが、私のような他所から来た者を温かく迎えてくれる懐の広さもあります。ご近所付き合いも近すぎず、遠すぎず。ちょうどよい距離感があるのは、皆がお互い気持ちよく暮らせるように気配りをされているからだと思います。聞くところによると、私のように『最初からここでの暮らしを考えていたわけではなかったけれど、なんとなく見てみたら気に入ってしまって、その後ずっとここで暮らしている』という人も多いそうですよ。

――10年以上この街に住まわれていて、変化を感じることはありますか?

T:カフェやアパレルショップなども増えて、いい意味で人が集まる街になっていっていると思いますね。町内会の方の街を盛り上げたいという気持ちがあってこそなのでしょうが、いい方向へ変化していっていると感じています。

神山通りから住宅街に入ると閑静な高級住宅街が広がる。

四季の移ろいを肌で感じる暮らし

――お気に入りの場所はありますか?

T:神山町の自宅から明治神宮までのランニングコースが気に入っています。往復すると、走るのにちょうどいい距離なんです。町内にも緑はありますが、代々木公園や明治神宮など隣接している地区にも緑があるので、都心でありながら四季折々の自然を感じることができます。緑の中を走るのは気持ちがいいですよ!

代々木公園脇の道はランニングをする人の姿がよく見られる。

――さんが感じるこの町の魅力とはどんなものでしょうか?

T:私は音楽が好きなのですが、ライブやコンサートに行きたいと思ったら、徒歩で行ける気軽さがいいですね。NHKホールや渋谷公会堂も自転車で行ける距離ですし、気軽に行ける分、自然とフットワークが軽くなります。Bunkamuraが建て替えのため長期休館していますが、オーチャードホールは残るようで、よかったなと思っているところです。文化・芸術に近いところもこの街の良さですね。

利便性と落ち着きが同居する住みやすさ

デパートや多くの店が建ち並び賑わう渋谷駅周辺とは違って、松濤・神山町エリアは住宅街が広がっています。住み心地はどのように感じていらっしゃるのでしょうか。

毎日のお買い物はどうされていますか?

T:渋谷駅の方まで歩けばなんでも揃うので、生活に不便はないですね。私はネットショッピングより実物を見て買い物をしたいタイプなのですが、ヤマダ電機も近いですし、欲しいものはたいてい手に入ります。スーパーマーケットは少ないものの、神山町には昔からの商店もありますし、少し歩いて渋谷西武の地下でも買えますね。妻は、気分を変えたいときには地下鉄で少し離れたスーパーまで行っているようですよ。ここはちょっと地下鉄に乗ればどこにでも出やすいので便利ですね。

お出かけの際は?

T:交通アクセスの良さは抜群ですね。渋谷駅も代々木公園駅も徒歩で行けますし、山手通りに近いので、車の移動も便利です。仕事柄、車で豊洲に仕入れに行くのですが、40分くらいで着いてしまいます。 外出先からタクシーで帰りたい時は、渋谷ではなく原宿駅から乗ると人混みを避けられます。どこに行くにもアクセスがよい交通利便性がありながら、町はゆったりと静か。とても住みやすいですね。

子育て環境としてはいかがですか?

T:松濤公園はこのあたりの子どもたちの良い遊び場で、うちの子もお友達とよく遊んでいるようですよ。都会でも緑に触れられる場所があるのはいいですね。
また、治安面では、この町は人が多すぎず少なすぎずの適度な賑わいがあるので、人の目があって安心です。静かすぎる住宅地は治安面が心配なので、私はある程度、人通りがある方がいいなと思っています。

見通しのよい松濤公園は子どもたちが安心して遊べる場所。

さんにとって、松濤・神山町はどんな町でしょうか。
T:渋谷駅周辺のお祭り騒ぎのようなエネルギッシュなパワーが、ここまで来ると良い具合いに薄められていく―そのバランスがいいですね。東急本店のあたりで、まるで見えないテープでも貼られているかのように、渋谷からの人の波がぴたりと止まり、空気が変わります。以前、この街に長く住んでいらっしゃる方が『この街にはいい “気” が集まっている』と言っていたのですが、確かに風通しが良いというか、目に見えない良いものが流れているような感覚がありますね。

緩やかな坂道が続く松濤の町。ほどよい高台で風の通りもよく、歩くだけでも気持ちがいい。

現在、渋谷駅周辺は再開発事業が進み、巨大な高層ビルも次々建設されています。速いスピードで変貌を遂げる駅周辺とは対照的に、松濤・神山町エリアは今もゆったりとした時間が流れています。
この春、松濤エリアに接する東急本店が街の再開発のため営業を終了。55年の歴史に幕を閉じました。これから、その跡地に新しい施設が建つことで、渋谷の街の姿も大きく変わっていくかもしれません。それでも、街を大切に思う人たちの思いは消えることなく、この街に流れる静謐な空気はこの先もずっと守られていくことでしょう。

Text by Sayoko Murakushi
         

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