絨毯ひとすじ90年。時代を超えて継承される「オリエンタルカーペット」の技。
皇居をはじめ名だたる建築に採用されている国内最高級の絨毯メーカー「オリエンタルカーペット」。山形で誕生し、今年(2025年)90周年を迎えるブランドの魅力を2週に渡ってお伝えしていきます。
オリエンタルカーペットは山形に本拠地を置く羊毛絨毯のメーカー。1935年の創業以来、手作業にこだわった丁寧なものづくりを貫いてきました。その技術は他の追随を許さない唯一無二のもの。有名建築家やインテリアデザイナーが、時代を超えて厚い信頼を寄せています。
財産とも呼べる豊かな歴史を背景に、オリエンタルカーペットは2012年、個人の顧客に向けた新ブランド「山形緞通(やまがただんつう)」を発表。2020年にオープンした東京ショールームに常務取締役の渡辺篤志さんを訪ねました。

女性を雇用する場を作りたい
創業家の6代目に当たるという渡辺さんに、まずは山形緞通ができるまでの歴史について伺いました。
――山形で創業されたきっかけは何だったのでしょうか。
渡辺篤志さん(以下、渡辺):昭和初期に山形を襲った冷害凶作により、収入が途絶え子女の身売りがされるなど、農村では劣悪な環境での労働を強いられていたそうです。そんな中、私の曽祖父である創業者の渡辺順之助が『働き口の少ない女性を雇用する場をつくりたい』という想いのもと、当社の前身となる「ニッポン絨毯製造所」を設立したのが始まりです。

創業の地であり、現在も本社と工房を構える山形県山辺町。ここに流れる「須川」は酸性度が強く、染め物に適した水質。そのため須川沿いの地域は昔から染色や木綿織り、ニット生産などが盛んな土地柄だったそう。
渡辺:渡辺順之助もこの地で木綿織業を営んでいました。しかし “織物” という点は共通しているものの、絨毯製造の知識や技術はありません。そこで1935年に北京から7名の緞通技術者を招聘し、2年2ヶ月にわたる伝習期間を経て、国内初となる羊毛を原料とした中国緞通の技術導入に成功しました。それが「山形緞通」の原点です。

中国の職人を『先生』と敬い、身振り手振りで意思疎通をしながら絨毯作りを学んだ伝習生たち。
渡辺:創業当時に伝習生が製作した手織絨毯が今も本社の来賓室に敷かれています。80年以上の時が経過しましたが、今なお少しも色褪せず、豊かな弾力としっとりとした質感を宿しています。

創業当時から継承される桜のモチーフ
渡辺:日本人は素足で生活する文化があるので、糸の密度であったり、毛足の長さを調整するなど中国の技術をもとに日本人の感性に合うように試行錯誤を重ねました。夜桜をモチーフとした “桜花図” はその象徴であり、現在も大切に受け継がれています。

バチカン宮殿の献上品を製作
創業から約10年。軌道に乗りつつあった絨毯製造は、第二次世界大戦の足音とともに事業停止を余儀なくされ厳しい時代を迎えました。終戦後、技術者たちを集め事業を再開しますが、原料となる羊毛が手に入らない状況が続きます。困難な環境の中、「葛の根」を原料とした絨毯を製作。GHQに技術力を評価され、マッカーサー指令室等へ納入するなど、会社は見事に再建していきます。
渡辺:GHQの支援により羊毛の供給を優遇してもらえるようになりました。それを機に対米輸出を本格化し、米国市場で最高品質の絨毯として認知されていくことになります。その代表例がバチカン宮殿へ献上した絨毯です。ローマ法王パウロ6世が就任された際、アメリカ合衆国からオリエンタルカーペットが指名を受けて製作させていただきました。1964年のことです。

皇居のカーペット
皇居新宮殿の「春秋の間」へ手織緞通を納入する名誉を賜ったのは、その直後の1968年。高度経済成長期を迎えていた日本に、オリエンタルカーペットの名声が轟きます。
渡辺:この名誉により、私たちにしかできない絨毯づくりや、品質の良さを著名な建築家やデザイナーの方々に知っていただくことができました。非常に大きな出来事だったと言えます。

好景気を背景にした建設ラッシュの中、ホテルや銀行の応接室など、コントラクト事業が大きく成長。「帝国ホテル」、「京王プラザホテル」、「大阪ロイヤルホテル」、「迎賓館」など、日本を代表する施設にオリエンタルカーペットの緞通が次々と採用されていきました。
渡辺:建築文化の発展に伴う多様な要望に対して、工芸と実用性を融合させたオリエンタルカーペットの近代的なものづくりが貢献できる。その事実に多くの方が関心を寄せてくださいました。
ひとつひとつ手作業で織っていく
では、オリエンタルカーペットの技術とはどのようなものなのでしょうか。
渡辺:製法には2種類あります。ひとつが90年前に中国の職人の方から習った「手織(ており)」です。原寸大の製作図面に合わせて、縦糸に毛糸を結んでカットする。これを一段ずつ繰り返しながら織っていきます。手織は当社の原点であり、今も大切に守り続けています。現在は7名の職人がおります。

渡辺:もうひとつが「手刺(てさし)」で、フックガンという工具を使って糸を刺繍のように打ち込んでいく手法です。手織の特徴をそのままに生かしながら、生産コストの短縮や量産化の目的で導入されました。
――いずれにしろ、手作業なんですね。
渡辺:はい。どちらも山形の工房で、現在も手作業で行っています。私たちの手刺緞通は糸の密度、毛足の長さ、表現できるデザインを手織に準ずる品質を目標とし、基準としてきました。

渡辺:弊社は日本で唯一、糸づくりから染め、織り、仕上げまで、絨毯の全製作工程を自社工房で一貫して管理している絨毯メーカーです。絨毯づくりに対するこだわりと厳格な生産体制が、私たちのものづくりを支えています。
歌舞伎座のロビーを飾る緞通
第一線で活躍する建築家の多くがオリエンタルカーペットの品質を認めたのも、一貫した管理のものづくりがあったからこそ。
2012年には隈研吾氏が改装を手がけた歌舞伎座のメインロビー「大間」にもオリエンタルカーペットの絨毯が採用されました。
渡辺:私たちにとって大変名誉なお仕事でありましたし、想像以上に多くの方からの反響がありました。お客様から『大間の絨毯を踏んだ瞬間に、 これから始まる非日常の世界への期待感を感じた』といった言葉をいただけたことも大変有難かったです。
さらにこの年はもうひとつ大きな出来事がありました。個人顧客向けのブランド「山形緞通」の誕生です。
受け継がれる貴重な絨毯作りの技
――山形緞通はどのようなコンセプトで作られたのでしょうか。
渡辺:オリエンタルカーペットの “一貫生産の圧倒的な技術力” を個人顧客向けに再構築したブランドです。今まで大量にあったインハウスデザインの「古典ライン」を3柄に絞り、「新古典ライン」「現代ライン」「デザイナーズライン」の4つで商品構成を行いました。


渡辺: “デザイナーズライン” では工業デザイナーの奥山清行氏、建築家の隈研吾氏、クリエイティブディレクターの佐藤可士和氏、など日本を代表する方々とのコラボレーションが実現しました。
――素晴らしいですね。そういった展開が可能になったのも、まさに信頼の証ですね。

たとえ、アート性が高いプロダクトであっても『お客様が “住空間の中で日常的に使用すること”を前提に考えている』と語る渡辺さん。
次回の後編では、東京ショールームとオリエンタルカーペットの “今” にフォーカス。山形緞通を住まいに取り入れる楽しみ方について、詳しくお伺いしていきます。

渡辺 篤志 Atsushi Watanabe
オリエンタルカーペット株式会社 常務取締役 2016年オリエンタルカーペット株式会社入社。東京支店次長、取締役を経て2022年より現職。 山形緞通の営業・企画の責任者としてブランドの認知度向上に努めている。

山形緞通 東京ショールーム
2020年に都内初のショールームとしてオープン。洗練された空間では、全製品のラインナップをご覧いただけるほか、オーダーメイドやメンテナンス等の相談も承っている。
※ご案内をご希望の方は事前予約がおすすめです。
山形緞通 東京ショールーム
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TEL03-5829-3887
営業時間10時~17時(土曜は15時まで)定休日:日曜・祝日
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