風と光が抜ける自由なデザイン。建築家が建てた葉山の自邸
シリーズ“Private View”では、魅力ある住まいに暮らす方を訪ね、豊かな暮らしについて考えます。
今回は、海と山に囲まれた神奈川県葉山町に建つ一軒家にお邪魔し、この家にお住まいの建築家、真泉洋介(まいずみ ようすけ)さんと、奥様の真泉絵美(まいずみ えみ)さんにインタビューしました。東京から葉山へ移住し、おふたりが設計した家にお子さまと3人で暮らされている真泉さんご夫妻。全2回の前編では、葉山に家を建てるきっかけ、設計する上でこだわった点について伺いました。
眺望がいい傾斜地だからできる唯一無二のデザイン
真泉さんご夫妻がお住まいになっているのは、神奈川県葉山町。東京からは電車を利用すると約80分、三浦半島の北西部に位置する、美しい海と山に囲まれた街です。皇室の別荘「葉山御用邸」や日本の渚百選に選出されている「葉山海岸」があることで知られ、避暑地やリゾート地として有名。近年は移住先としても人気のエリアです。
住宅街の中の坂道を登っていくと、リビングの3方を囲む大きな窓が印象的なユニークなデザインの家が現れます。
──はじめに、なぜここ葉山に家を建てようと思われたのですか?
真泉洋介さん(以下、洋介):私たちは、以前は都内のマンションに暮らしていました。子どもが生まれたことをきっかけに、自然がそばにある環境で気持ちよく過ごせる家に住みたいと思ったんですね。都内の集合住宅をリノベーションすることも考えましたし、戸建ても最初は都内を希望していました。だけど、土地の方に金額がかかってしまい、建物に予算が割けず狭小3階建てみたいになってしまうのは僕ららしいかと言われると、違うかなと。『土地にゆとりがあって、周辺環境もよくて、建物に予算をかけられる方がおもしろいな』と思って、葉山まで土地を探すエリアを拡げました。
──とはいえ、葉山も大人気ですよね。土地はすぐ見つかったのでしょうか。
真泉絵美さん(以下、絵美):それが、あまり土地が売り出されなくて。見つけるまで3年くらいはかかりました。
洋介:この土地を見つけたとき、『これはおもしろい』と感じて、その日に申し込みをしました。ここは山の裾野にあって、敷地自体も傾斜しているんです。家を建てるにはかなり難しい土地なんですね。でも高さがある分、南側は景色や風が抜ける。この場所から見える山々や広い空を見て、『明るくて気持ちのいい家ができる』と確信したんです。
──旗竿地[*]でもありますね。旗竿地は、場合によっては避けるという方もいらっしゃいますが、その点はいかがでしたか。
*はたざおち:道路に接する路地部分が細長く、奥にまとまった敷地がある形状の土地のこと。竿につけた旗のような形になっていることからこう呼ばれます。
洋介:住宅密集地の旗竿地だと、建物に四方を囲まれて日当たりが良くなかったりするので、そういう話は聞きますね。でもここは傾斜地なので、道路から奥まっていても抜けがあるんです。また、道路まで距離があるので、リビングを全面ガラス張りにしても外を歩いている人の目がそこまで気にならないんですよ。
絵美:たしかに、普段あまりカーテンを閉めていなくても気にならないのは、道路から距離がある旗竿地だからできることかもしれませんね。
洋介:住み始める前は、窓も大きいし暑すぎるのではないかと少し気になっていました。でも暮らしてみると、夏の日光はひさしが遮ってくれるし、冬は奥まで太陽の光が届いて日中は暖房が不要なくらい暖かい。想像以上に快適です。
部屋に用途は与えない。思い思いに過ごせる居場所が随所に
──個性のある土地と出合ったことで、おふたりらしい家づくりを始めることができたんですね。おふたりとも建築家で、住宅設計のプロ。設計する上では、どのような点を重視されたのですか?
洋介:『小さくても開放的で、明るく風が抜ける家』『居場所が決めつけられない、流動的で自由な住まい方ができる家』『どこにいても天井が高くて、つながりのある家』。この3つを意識しました。子どもが育つ環境としてどんな家がいいか、どんな家だと楽しく生活できるか、ということも考えましたね。
絵美:建築家の阿部 勤さんのご自宅「中心のある家」にも影響を受けました。以前、夫婦で見学させていただける機会があって。竣工したのが1974年。もう49年も経っている名建築といわれる住宅ですが、長く残る家のあり方として刺激を受けました。
洋介:阿部さんの家の中には、デイベットが3つもあるんです。阿部さんに『どこで寝るんですか』って聞いたら、『気持ちいいところで寝るんだよ』って言われて、かっこいいなと感動しました。用途を与えられた場所があるわけじゃない、そういいう家のつくり方って、素敵だなって。
というのも、私は一般的な3LDKの間取りのマンションで育ったんです。広くもないのに、どの部屋にも当然のように扉がついていて。当時は反抗期だったというのもあるかもしれませんが、薄暗くて風通しも良くないのに、自分の部屋にこもりがちだったように思います。そんな暮らし方になってしまう家が健全な住まいの形なのか、という疑問をずっと持っていて。その疑問に、この自宅を通じて向き合ったような気がします。
──こういう家がいい、という共通の感覚や言語が、おふたりにはしっかりとあったんですね。
洋介:そうですね。私が設計図を書いて、妻に見せていました。最初は、もっと中と外をつなげたい、とお風呂がバルコニーにあるプランも考えたのですが、『それはさすがにやりすぎでしょ!』と、拒否されることもありました(笑)。
──結果として、2階建てでありながら、家のなかに間仕切りがほぼない住まいになったんですね。
洋介:わたしたちの家は、図面を見るだけではどうなっているかわかりづらいですよね。仕切りをなくして一体的な空間にしたいといっても、開放的に作っているのは南側だけで、寝室や収納がある北側はプライベート感がでるように工夫をしています。例えば、キッチンと寝室の床の高さを変えて寝室はちょっとこもれるような雰囲気にしたり。
絵美:キッチンに立つと、すぐ後ろが寝室の床になっているんです。キッチンで作業台が足りないときは、この床でなにか料理の仕込みをしたり、鍋を置いたり。座ることもできるんです。キッチンから空が見えるように、リビングから見てキッチンの床は40センチほど下げました。
──寝室の床がキッチンの作業台にもなるとは、自由で型にとらわれない発想に驚きました。『用途を決めず、流動的に暮らしたい』という思いを、こんなふうに表すことができるんですね。
洋介:そうですね。たとえば階段って、通常の住宅だと階段でしかないですよね。でもこの家では、階段も椅子代わりとして外を眺められるように位置も考えています。そういう、住む人が季節や時間帯、暮らし方で自由に使えるようなデザインであることを意識しました。
お子さまの誕生をきっかけに、家族で暮らす理想の住まいを求めた真泉さんご夫妻。その結果辿り着いたのが、発想次第で家中に居場所がある、自由な家でした。
後編では、建築家ならではのユニークな家の構造と色使いについて、また実際に暮らしてみた感想をお届けします。
どうぞお楽しみに。
後編はこちら
株式会社 プラスマイズミアーキテクト
https://maizumi.net/
一級建築士事務所 東京都知事登録番号 第60985
真泉 洋介|Yousuke Maizumi
代表取締役 / 建築家
東京理科大学工学部建築学科後、千葉大学大学院へ進学。栗生総合計画事務所で、美術館、博物館の設計に関わる。2013年に、株式会社プラスマイズミアーキテクト設立。集合住宅をはじめ、店舗や病院、福祉施設を手がける。
真泉 絵美|Emi Maizumi
建築家
東京理科大学工学部建築学科後、大手ハウスメーカーへ入社。インハウスデザイナーとして数多くの住宅設計に携わる。プラスマイズミアーキテクトに合流。